新ドラえもん(わさび世代)の連載、アニメ化が始まってから既に10年以上が経ちました。

幅広い世代から人気を集めてきた日本の代表的アニメですが、

一部のファンの声では「昔の方がよかった」といった否定的なコメントも散見されました。

 

今回は旧ドラえもんと新ドラえもんの比較、検証を行ってみたいと思います。

 

①ドラえもんとのび太の関係

 

自分は昔、ある知人から旧ドラえもんの映画がたくさん詰まったCD、ブルーレイディスク収納ファイルを貰いました。

その中で特に印象に残った映画を一つずつピックアップしてまとめてみます。

まず1番は、1993年3月6日に映画館で初上映された「のび太とブリキの迷宮」です。

 

初めてこの映画をみたとき、今の新ドラえもんとは全く違う光景が映し出されていました。

それは「ドラえもんの道具に一切頼らないのび太の姿」です。

 

この映画の全容を要約すると、

ある日の夜中に、のび太の父が寝ぼけてスキーや海水浴を好きなだけ楽しめる無料ツアーの宣伝番組にうっかり予約してしまい

夏休みなのに旅行に行けなかったのび太はそれを聞いて大喜びします。

 

そして数日後にのび太の家の玄関にトランクが届き、未知なる世界へとドラえもんとのび太は足を踏み入れます。

行き着いた場所はなんとのび太の父が先日予約したホテルでした。

喜んだ二人はホテルフロントの人々に盛大に歓迎され、スキー場に向かいます。

 

最初はドラえもん、のび太の二人でスキーを好きなだけ楽しめる雪山に行き、滑ってるうちにのび太が何回も転倒します。

そしてのび太はドラえもんに「どんな下手でも滑れる道具出してよ」と駄駄を捏ねます。(ここまでは新ドラえもんの筋書き通り)

 

しかし、ここから先の展開は新ドラえもんでは絶対にみられない光景です。

なんとドラえもんは「のび太君を助けるために僕の道具は存在しているんじゃない」と冷たく突き放します。

それどころか、のび太に対して「自分で滑れるように何回も練習をしろ」と発破をかけます。まさに教育係の鑑です。

 

一見冷遇しているかのようなドラえもんの言葉ものび太の将来を思ってのことだと考えると泣けてきます。

ただ、のび太にドラえもんの言葉は届かず、一連のやり取りで険悪なムードになった二人の関係はこじれてしまい、とうとう離れ離れになってしまいます。

 

しかし、何日も帰らないドラえもんがさすがに心配になり、のび太は再び雪山に向かいます。

その頃、ドラえもんはある組織にロボットの実験として捕らえられ、一貫して口を割らなかった罰として電気ショックを食らい、機能停止したまま、海に捨てられてしまいます。

 

のび太は自身のドラえもんに対する甘えと軽はずみな言動ゆえに起こしてしまった原因と反省に向かい、ドラえもん救出のために単身敵のアジトに侵入します。

新ドラえもんでは常に何かしらの同行者と協力して問題を解決していましたが、旧ドラえもんではのび太の凄まじい勇気と行動に衝撃を受けました。

 

この後の展開は複雑かつ長いので端折りますが、最後はドラえもんと再会し、敵の親玉を倒します。

のび太の急速な成長ぶりとドラえもんの教育係らしい発言にとても感動した話でした。

 

そもそもドラえもんは22世紀からのび太を一人前の人間に育てるためにやって来ています。

道具ばかりに依存してはむしろ逆効果ですよね。

今のドラえもんは教育係というよりかは、単にのび太目線の友達関係になっていると思います。

 

アニメコンセプトとしてはそうなのかもしれませんが、今のドラえもんとのび太の関係は、のび太を一人前の人間に育てるどころかすっかり堕落させるだけだと思います。

ジャイアンにいじめられたり、テスト当日が近づいたり、果ては両親にしかられたりすると、事あるごとに毎度お馴染みの「道具出して〜」(笑)

そういった意味では旧ドラえもんは本当によくできた作品だなと実感させられました。

 

②現実味を帯びた話

 

新ドラえもんは、2014年3月8日に公開された日本の映画「ドラえもん 新 のび太の大魔境」や2015年3月7日に公開された「ドラえもん のび太の宇宙英雄記」などがありますが

いずれも「犬の世界」を題材にしたテーマだったり、現実ではありえないパワードスーツっぽいものを着て敵と戦うといった、いわゆるファンタジー系な映画が多いです。

 

しかし、昔のドラえもんの映画は現実でも十分に起こりそうな話だったり、前述した「のび太とブリキの迷宮」も、急速に進むAIの技術に警鐘を鳴らしています。

その中でもよく「のび太とブリキの迷宮」の内容と酷似した映画がありました。

 

それが2002年3月9日に公開された「ドラえもん のび太とロボット王国」です。

これはロボットと人間が仲良く共存していく、といった内容ですが、これもまた考えさせられる映画でした。

感情を持つロボットはいずれ「人類を滅ぼす、共存は不可能、シンギュラリティの到来」などと騒がれていますが、

 

のび太はそれに対して否定的な態度を取っていました。

そうです。のび太には唯一無二の親友、ドラえもんがいたからです。

 

感情を持つロボットによって思わぬ不慮の事故に巻き込まれ、父親が死亡したことがきっかけで「ロボット改造計画」を推し進めた本作品のキーパーソン、ジャンヌ女王。

彼女はロボット全ての感情を抜き取れば今回のような大惨事にはならなかったと考え、未処理ロボットを次々とターゲットにします。

しかし、養育ロボットだった母親(マリア)、その息子であるポコの感情までは抜き取らず、まだジャンヌにも多少の良心が残っていました。

 

のび太はジャンヌの行いに対して「人間らしい感情を抜くなんてロボットをなんだと思っているんだ!」と激昂。

確かに今まで仲良く一緒に共存してきたロボット全ての感情を抜くのは酷いですよね。

ただ、感情を持つロボットが一人の人間を殺したのも事実で、行き過ぎたAIは人民の命を脅かす、ということをこの映画は示唆しているのかもしれません。

 

自分はもしロボットが現実でも感情を持つことになったらどうなるか、というのをこの映画を見るたびに考えてしまいます。

現実では第一次AIブーム(推論と探索)、第二次AIブーム(エキスパートシステム)、第三次AIブーム(ディープラーニング)とAIの研究は脈々と続いていますが、いずれもロボットが感情を持つまでに至ったことはありません。

 

ロボットが感情を持つ日が来るのか、分かりませんが、AIも行き過ぎると恐ろしいと思います。

こういった現実味を帯びた話で色々考えさせられたのは、新ドラえもんでは味わえなかったことです。

 

他にも1992年3月7日に公開された「のび太と雲の王国」では、行き過ぎた自然破壊や森林伐採に警鐘を鳴らしており、非常にこれも奥が深い作品だと思います。

機会があったらぜひ観てください。