最近、「独立業務請負人」と呼ばれる働き方が生まれているらしい。


どんな働き方といえば、個人として企業と契約し、専門性の高い

プロジェクトを請け負うというもの。会社に縛られず、自分の専門

分野を生かしたいという願いにかなった素敵な働き方!


起業をするわけでもなく、もちろんサラリーマンではない。

ライター業に例えれば、フリーランスのような働き方なのかな。


 日本ではまだまだ少ないのかもしれないけれど、きっとこんな

働き方はどんどん浸透していくと思う。

 みんな(私も含め)会社という組織に縛られて汲々とした働き方

に嫌気がさしているところ大なんだよなーと感じるし…。例えば

上の人が帰るまでは仕事が終わっていても帰れないとか、遅く

に退社するほど仕事をしているとみなされる慣習とか、飲みも仕

事の一部だから断れないとか、そんな会社という組織での常識

がなくなればいいのにと心の底で願っている人は多いわけで。

 だからこういう形態の働き方が出てくるのは、「働き方革命」への

過渡期に生まれてきた芽として素晴らしい!徐々にこういう形態が

認知されてくれば、その働き方を選択する人も増えるだろうし、

会社の慣習も変わらざるをえなくなるだろうな。包囲網作戦って

ことで期待したい。



 そして何より、女の人たちが子育てと仕事との両立で悩む場面

でも、こんな働き方ができれば理想的。育児休暇をとれないとか、

とりづらいという悩みを抱えていても、仕事の量も自分で調節でき

て、精神的にも周囲との関係で悩まされることはないし、仕事場と

いう概念もなくなるかもしれない。

 しかも、疎まれがちな「おたく」の人たちが、逆に専門分野に強い

人たちとして仕事を立ち上げられるような可能性も秘めている気が

する。通常の組織では「使えない」とみなされるような人たちでも、

他の人が太刀打ちできない分野をもっていればアイディアを企業

に売れるかもしれないわけで。


 もちろん、こういう働き方って、その人が一人でやっていけるだけ

の人脈なり能力が必要とされるだろうから、そういった厳しさはある

かもしれないけれど、多少収入とかが減っても、もっとプライ

ベートを充実させられる働き方ができればいいなーと思う私として

は、この働き方を何かしらの形で生かしたい。


 そういえばまだ読んでいないけれど、朝日新書の「ヒューマン

2.0」という本がアメリカで広がりつつあるフリーの働き方の紹

介をしているっぽいので、今月中には読んでみます。

 


 

  ちょうど社会的地位も高い家庭での凄惨な事件が相次いだので思うこと。


 最近、とかく「勝ち組」と「負け組」に分けて格差社会、格差社会と言うし、

「勝ち組」が何を意味するのか、「負け組」が何を意味するのかも何となく

定義することもなく、一般に共有されている気がする。

 でも、これってわかりやすく今の日本を説明したような気になっていて、

本当に見なければいけないものを覆い隠している気がしてならなかった。


だって、「勝ち組」とくくられる人たちも漠然と抱いている不安はあって、

むしろ「勝ち組」の人たちの不安感のほうがある意味大きい気がしていたから。

「勝ち組」でいつづけなければいけない、という不安……。


 

 よく語られるのは、フリーター・ニートたちは典型的な「負け組」で、医者や

弁護士・外資系企業に就職した人たちは「勝ち組」という職業から観た社会的

ステータスでの尺度によってだと思う。

 確かに年収は違うだろうし、人様が見る目も違うけれど、私には後者のほうが

むしろ不安感が強い気がしてならない。 高学歴であるほどに、そのレールから

外れる不安感は大きくなるし、外れてはいけない強迫観念のようなものがある。


 私の時にも既に、大手一般企業に就職するのも一種負け組的な空気があっ

た。とりあえず一生続けられる安定感で医者・弁護士に向かう人たち(「勝ち

組」)。そして、それには飽き足りず、もっと自分磨きをしたいと外資系に向かう

人たち(これが一番の「勝ち組」な雰囲気。おそらく年収の破格の高さゆえに)。

というように何となく価値観のヒエラルキーができていた気がする。


 フリーター・ニートが、社会のレールから脱線した人(自主的に出あれ、結

果的にであれ)たちであるとすれば、いわゆる「勝ち組」の人たちは、今さらレ

ールを踏み外せないし、「負け組」にはなれないという見えないプレッシャーに

さらされながら、懸命にレールの上にのり続けようとしている人たちだと思う。


 で、このバラバラ事件が起きたときにも妙に理解できる気がした。特に2つ

目の、妻が夫を殺した事件。というのも、「勝ち組」の主体が女性だったから。

 

 自分でバリバリ働いている女性ではなくて、相手の男性の勝ち組度を身に

まとって自分の勝ち組アイデンティティを維持している女性。だから、どんなに

愛情がなくなっても、どんなに好きな他の男ができても、自分の一度築かれた

社会的な「勝ち組」の見られ方を崩したくなかったんだと思う。夫と別れること

は、すなわち職を持っているわけでもない自分が「負け組」に転落することを

意味するわけだし、それ以上のステータスを持つ男性を見つけるのも難しい。

(たぶん愛人が愛人どまりだったのもそれゆえだろうし)

 だから離婚の選択をできなかったんだろうなあ。相手から告げられたという

のもまたそんな思いを助長させたのだと思う。


 ただ、この女性がいわゆる「勝ち組」ではなくて、条件付「勝ち組」、一緒に

いるパートナーの「勝ち組」度で自分も「勝ち組」だと認識していたということは

ポイントだと思う。こういう複雑なアイデンティティは女性ゆえに成り立ちえたも

のだと思うから。(これについてはまた今度…)


 




 


 ジェネレーション・ギャップ。この言葉はいつの時代にもあったものだろうと思うけれど、それにしても今の20代の人たちに対する大人の無理解さはこの一言で済ませられないものがあると思うのだ。というのも若者に対する理解不可能性が、転じて若者たたきにつながっている状況が、どんどん加速しつつあるのではないかとの実感があるから。そんな実感ありません?


 私がどういう局面で、どういう場所でそれを実感するのかというと、マスメディアにおける語られ方というのはその一つ。やれ若者は活字を読まなくなった、やれ若者は新聞を読まなくなった、と大人の非難は途切れることがないけれど、これってインターネットに対するアクセシビリティが増していることをぬきにして、単純にコンテンツに対してうんざりしているからという側面があると思うのだ。(そこは負け犬の遠吠えっぽく、大人が切り込んで語らない部分でもあると思う)。

 個人的に新聞10紙ほどに毎日目を通す生活を送っているけれど、なんと金太郎飴的で、なんと「団塊世代」の話題が多いことか。今の日本には団塊の世代しか存在しないのではないかと思わずにはいられないほど、そこをめぐる言論で紙面が多い尽くされている気がする。そしてたまに若者について語られることがあったとしても、明らかに否定的なニュアンスの文脈においてでしかない。フリーター、ニート、自立できずに、夢を描けないでいる若者たちという画一的な描かれ方。そんなみんなが金太郎飴的に生きているわけではないし、私は逆に私世代で初めて実現していける新しい価値観があると信じている。そういう萌芽はあちらこちらにあると思うし。


 残念なのは、若い人たちの内部に潜入してプラスな語りや描写をするマスなメディアがあまりに少ないこと、そして若い人たちからそれに対する反論・発信をできていないという状況。私はホリエモンのやり方はさておき、そんな鬱屈した閉塞感を打開したかったという気持ちには共感するところがある。

 ブログという小さなメディアでは微々たることしか発信できないかもしれないけれど、これから日々私が感じるところも含め、一若者として何かを伝えていければと思う。