辞任をしない方向で固まったらしい。
「本人は反省しております」という阿倍首相の弁明と、
「発言には厳重に注意をしたい」という本人の表明と。
「不謹慎な発言をしないように気をつけるべきですよね」
という渡辺議員の意見もあった。
でも、注意をするとか発言を慎むとか、反省して謝る
ということなんてこれっぽっちも求めていないし、
意味がない。
だって頭の中、腹の中を露呈してしまったのだし、
それが全てでしょう。出さなければいいってもん
じゃない。一度出てしまったら取り返しがつかない。
これで大臣を続けるというのが恥ずかしいのは
もちろんのこと、大臣を罷免しない安倍内閣はもっと
恥ずかしい。
翻って考えてみれば、安倍内閣の掲げる「家族再生」
なるキーワードに端を発する問題だと思う。その言葉
は破綻しているし、あまりの薄っぺらさに中が透けて
見える。なぜ「家族再生」を掲げるか?
女性が社会進出するようになって、未婚の女性、
あるいは晩婚化が進んだために子供を産まなくなった、
だから女性を「家族」なるものに引き戻すことが少子化
を改善するためには重要課題なのだ、という認識が
そこにはある。
そこで言われる「家族再生」の裏にある今の「家族崩壊」
状態は子供を産まない女性に非難の目が向けられている
ものとしか思えない。
そもそも「家族再生」なんて言葉を国家戦略で掲げて
ほしくないという思いがあるけれど、それは置いておくとして、
「男性も家事・育児に等しく関われる家族のあり方
がベーシックなものとして受け入れられるような社会」という
文脈での新しい家族の形を安倍内閣が考えていたならば、
今回の柳沢厚労相のような発言は出てこなかっただろうし、
そんな人物を閣僚に選ばなかっただろう。
そして、その文脈でしか「家族再生」の言葉は意味を持たな
いと思う。
というのも「女性が専業主婦で夫は社会で働いて……」
という形の家族が明らかに主流であったし、
その形でうまくいく家族があるのは否定しないけれど、
それ以外の家族のあり方(シングルマザーとか事実婚とか)
が社会的に受け入れられてこなかった、
あるいは受け入れられていないから
女性が子供を産まない現実だってある。
女性が一人でも子育てできるし、
男性がもっと子育てに携われるような社会システムの
あり方を考えよう、
そういう「多様な意味での家族のあり方を認める」
という方向で政府が支援をしていくのでなければ
何も改善なんかしない。
女性を専業主婦として、子育てと家事に引き戻す
形での、一通りしかない「家族の再生」になんて
今時誰が共感するのか?
「家族再生」というフレーズにこそ
この発言の端緒があったというのはもっと
言われてもいいよな、と思います。