どなたもお待ちしてはいなかったとは存じますが
やっとゴッホの浮世絵模写の模写?をした第2作が完成しました
悟ッ保風浮世絵模写「東州斎写楽画の三代目大谷鬼次」
(陰の声:ごっほふううきよえもしゃ「とうしゅうさいしゃらくが・さんだいめ
おおたにおにじ」と読んでくださいナガクテスミマセン
ゴッホ風浮世絵模写「東州斎写楽画の三代目大谷鬼次」
油彩・F6号
ゴッホ風浮世絵模写とは何か?
ゴッホ風浮世絵模写とは「何か?」をもう一度復習させていただきます
ゴッホは日本の浮世絵に大変興味を持って画商の弟テオと一緒に
多くの浮世絵を収集しており、その影響も受けていると言われています
その中でも、浮世絵そのものを油絵で描いた作品が3点あります
それがコレ
油彩模写・歌川広重 油彩模写・歌川広重 油彩模写・渓斎英泉
名所江戸百景 名所江戸百景 雑誌の表紙より
おおはしあたけの夕立 亀戸梅屋輔 花魁
(陰の声:「花魁」はオリジナルの浮世絵ではなく、雑誌のパリ・イリュストレの
日本特集の表紙から模写したそうですヘ~ソウナンダ)
浮世絵 を油絵で模写するという発想にも驚きますが、さらに周囲に
額のような枠を描き、そこに何やら日本文字らしきものを描いているのも
面白く・・・これを私は「ゴッホ風浮世絵模写」と名付けました
(陰の声:文字は描かれた浮世絵とは関係ないようで、他の浮世絵の画中の文字から
探して適当に?書いているようですカレハニホンゴハヨメナイカラネ)
でも、そのゴッホが描いたヘタクソな意味の通じない日本文字は字ではなく
画像として浮世絵と一体化していてこれもゴッホの作品だ!と感じました
そこで私、ごっこスーラも模写の模写で文字を描いてみたのですが・・・
私もなるべくヘタクソに文字を書いてゴッホのように一体化したいと試みましたが
どんなにしてもゴッホの味は出ないので諦め、普通の下手な文字を描きました
(陰の声:ここらへんが天才と凡人、いや才能なしの差だねエ~ン)
東洲斎写楽の役者絵「三代目大谷鬼次」について?
写楽の原画の浮世絵「三代目大谷鬼次」についても調べましたので
少々述べさせていただきます
(陰の声:少々じゃ済まないよ!ご多忙で付き合いきれない方は遠慮なく
ログアウトしないとまだまだ駄文が長いよスミマセンネ)
東洲斎写楽
浮世絵(役者絵)・三代目大谷鬼次
大判錦絵(タテ36.8xヨコ23.6cm)
寛政6年(1794年)重要文化財
このモデルの鬼次は当時の芝居「恋女房染分手綱」のなかで奴江戸兵衛という
無頼漢の悪役ですが人気はあったそうです・・・知らんけどね(関西風言い回し?)
(陰の声:当時の浮世絵は20文<500円>くらいでしたが、この絵にはバックに
雲母摺<きらずり>という雲母を摺り込んで、現代のキラキラシールみたいな
効果があったそうですコウキュウヒンダヨ)
この 浮世絵は当時の歌舞伎役者の現代で言うプロマイド的なもので
他の多くの浮世絵師も人気歌舞伎役者を描いて「役者絵」というジャンルがありました
他の浮世絵師は役者を「かっこいい」または「美しく」と真っ当な表現していましたが
われらが写楽くんは役者の特徴を強調したインパクトあるスタイルで
寛政6年に突然28点もの大首絵(バストアップの絵)の役者絵を発表して業界に
殴り込みをかけてきたのです
(陰の声:プロデュースは当時高名な蔦屋重三郎!現代のTSUTAYAとも関係が
あるとも無いとも噂されるお方です キョウミノアルカタハゴジブンデオシラベネガイマス)
八代目森田勘弥 二代目小佐川恒世 市川鰕蔵
他の作品 もこんな感じなので、それまでの歌麿風の浮世絵を
見慣れていた人々はビックリしました
また、描かれた役者も自分の特徴をデフォルメした作風に
「もう写楽には描かせない!」とこれもカンカンだったそうです
そんな訳で写楽はデビュー後わずか10ヶ月でそのまま姿を消してしまいました
(陰の声:芸術はなかなか受け入れられないものですね、ごっこスーラが
評価される時代はいつくるんだろう?エイエンニコナイダロウネ)
写楽とは何者か?
わずか10ヶ月で歴史の彼方に消えた写楽についてはいろいろ説はあるようですが
有力なのは阿波徳島藩の江戸住まいの能役者(武士待遇)の斎藤藤十郎ではないか
とささやかれています
いくら蔦屋重三郎が見込んだといえどもズブの新人に役者の大首絵を描かせたり
雲母摺までするのはちょっと当時の慣習では考えらないことで
やはり地位のある武士だったから特別待遇をしたのではないかと・・・
(陰の声:またまた長くなりますので、後はご自分でお調べくださいねアトハシランモンネ)
歌舞伎の定式幕(じようしきまく)とは?
長くなりついでの蛇足ですがごっこスーラの作品の周囲のカラーは歌舞伎場や
演芸場などに使われている引き幕(定式幕)のカラーを意識して使いました
(陰の声:模写でも一応は役者絵だからね・・・でも効果はどうかな・・・)
歌舞伎座の定式幕(黒色・柿色・萌黄色の三色)
この定式幕(引き幕)は江戸三座といわれる奉行所許可の三つの
歌舞伎座しか使えませんでした。また三座でも色の種類や並びが
違っていました
市村座 森田座 中村座
市村座は現在の国立劇場、森田座は歌舞伎座の定式幕に伝えられており
中村座の配色は現在の平成中村座大歌舞伎でも使われているそうです
(陰の声:テレビの笑点や永谷園のお茶漬けパックなどにも使われているね
これもなかなか奥深いから興味のある方は調べてねミンナヒトマカセ)
江戸三座の賑わい
奉行所認可の三座しか引き幕も櫓も構えられなかったそうです
他の小さい未認可の演芸場は緞帳を使っていたようです
なぜ、ゴッホは写楽の大首役者絵を模写しなかったのか?
ごっこスーラにとってはこの疑問のほうが大きいのです
あれほど多く描いた(40点以上)自画像おたくのゴッホがなぜ模写をしなかったのか
また、明らかな影響が感じられないのか本当に不思議に思いました
写楽が浮世絵を発表したのは1795年、ゴッホが浮世絵を収集していたのは1886年頃で
90年ほどのタイムラグがあります
浮世絵が最初にヨーロッパで注目された最初は日本から輸出した陶器の包み紙に
使われていたものだという話です・・・
(陰の声:売れ残りの浮世絵が梱包紙で使われたんだねトホホ)
90年前にわずか10ヶ月しか刷られなかったのでは数も限られていて
ゴッホの時代にはもう無かったことも考えられるので、彼は写楽を見ていなかった
と推測されますね(迷探偵ごっこコナン談)
「そこで、今回はゴッホに変わってごっこスーラが描きました!」
(陰の声:これが言いたかったんだねアキレタモンダ)
長々とお付き合いありがとうございました
まだ、お時間とご興味がある物好きな方はこちらもご覧ください
制作過程を短く(?)紹介しております
<ゴッホ風浮世絵模写の模写?第2弾−2・了>
スーラ・ウタガワの
私撰:関西名所図絵・美術館のご案内
このブログの各ページで個別に発表した、スーラ・ウタガワ作品の
名所絵を場所別に集め「美術館」と称して再度アップロードしています。
第1室:大阪南部の名所図絵・油絵 開室中
第2室:大阪北部の名所図絵・油絵 開室中
第3室:大阪湾岸部の名所図絵・油絵 開室中
第4室:神戸地区の名所図絵・油絵 開室中
第5室:京都地区の名所図絵・油絵 開室中
第6室:その他ガラクタ図絵-1・浮世絵模写 開催中
第6室:その他ガラクタ図絵-2・水彩画 開催中
第6室:その他ガラクタ図絵-3・人物画 開催中
第7室:大阪を描こう展MY歴代出品作品 開催中
*各展示室へのご入場(アクセス)はサイドバーのブックマークをご利用ください。
以上、ご案内申し上げます。 館長:スーラ・ウタガワ