メディチ家(雑)研究・その6 | スーラ・ウタガワの「画家ごっこ雑記帳」

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画家ゴッホではありません、画家ごっこです。

浮世絵名所の再発見をコンセプトに自分の気に入った名所を探して油絵を描いています。

そんなリタイア後の画家ごっこライフや、美術についての受け売り雑話をアップしているブログです。


メディチ家追放とサヴォナローラの宗教政治

華王:ロレンツォ・イル・マニフィコが43才で天国に行くと、

政治・財務などに宴のつけがドッとメディチ家に押し寄せた。

長男のこれまたピエロという名前の方が後を継いだのが、

この方のあだ名がピエロ・ロ・スフォルトゥナート(不運なピエロ)

または、ピエロ・イル・ファトゥオ(愚鈍のピエロ)という。


はい、もうおわかりですね、この方はやることなすことすべて裏目にでて

フィレンツェを追放されてしまいます。要はアホですね
(>_<)


その気の毒なアホはこの方


ピエロ2肖像
ピエロ・ロ・スフォルトゥナート
1471~1503年

(本名:ピエロ・デ・メディチ)
性格はアホのくせに尊大でローマの名家オルシーニ家出身の
妻も冷ややかでフィレンツェになじもうとせず、夫婦揃って
不人気という最悪のカップルであったという。


この頃はさすがのメディチ家もロレンツォが国事と文化事業に湯水のように

お金を使っていたので、ほとんど破産状態・・・運の悪い跡継ぎピエロ君だね。



ところで、メディチ家は何で儲けていたのか?

銀行業といっても、現代とは事情がずいぶん違うのだ、

利子を取る金貸しはキリスト教徒には悪徳でダメ、物を担保の質屋もタブー、

では何か?それは「為替取引」だったのだ。

各国の通貨と両替する時の差額を利益とするのだ。(今でいうFXかな?)


なぜ、これがOKなのか?

神学者の答えは「為替は変動により損害も
受ける場合があるから、

これは金貸しではない。」そうです。

(陰の声:そういえば、現役の時の会社の上司も大損していたな・・・)


しかし、メディチ家は基準通貨「フィオリーノ」を操作して、

なぜか、まず損をしない仕組みを作っていた。

為替書類
メディチ銀行の裏帳簿(?)とフィオリーノ金貨と銅製メダル
<フィレンツェ・アンティカ・カサ博物館>
実際の得失を記入した銀行の出納帳簿(命の次に大事なもので
あったらしい=どこの世界にでもある裏帳簿だ。)


しかし、豪華王ロレンツォの浪費と、アホのピエロの政治的まずさ

(フランス王シャルル8世のイタリア遠征時の対応の失敗)により、

反対派に扇動された市民によって追放され、メディチ銀行も
倒産してしまった。


時は15世紀末!この世紀末の不安につけこみ、贅沢追放・腐敗追放と

見かけは正論を唱えて台頭してきた修道士がいた。

(陰の声:いやな予感、坊主が政治に出てくるとろくなことはないよ。)


その修道士さまはこのかた

サヴォナローラ肖像
サヴォナローラ
世紀末の黙示録的な説教師として頭角を現してきた、
フェッラーラ(どこだ?)出身の修道士ジローラモ
・サヴォナローラを信用して迂闊にもロレンツォが
サン・マルコ修道院長に任命してしまった。


わずかな期間だったが、彼はフィレンツェの市政を握り、

極端な神権政治をおこなった。

カーニバルには子供なども含む信奉者が聖歌を歌いながら行進し、

家々から押収した
贅沢品や享楽品など反キリストとみなされた品々を

集めてシニョリーナ広場に
積み上げて火を放ち、

教会の鐘がなる中で「虚栄の焼却」なるイベントが行われたそうだ。


このとき、ボッティチェリも参加して自分の作品なども燃やしたらしい。

(陰の声:ダメじゃんボッティチェリ
Y(>_<、)Y



とうとう矛先は教皇庁にも向けられ腐敗・聖職売買などを攻撃し、

教皇のことを醜悪な娼婦にまで
例えたという。

結果、痛い所をつかれて激怒した教皇に破門され、移り気な市民にも

攻撃されて処刑されてしまった。


ルーターの宗教改革の始まる20年前であった。

(陰の声:正しいことでもやり方と時期が大切なんだよな
(;^_^A )


サヴォナローラ処刑図
サヴォナローラの処刑
作者不詳
その最後は「虚栄の焼却」を行ったシニョリーア広場での絞首刑と焚刑だった。
現在、広場の死刑台のあった場所には記念の銘板が埋められているそうだよ。



その後、フィレンツェは政情不安にありいろいろもめていたが、

メディチ家は追放18年後には復帰した。

が、フィレンツェには、もうかっての栄華は戻らなかった。



変わって、メディチ家の教皇が誕生して、この後はローマがルネッサンスの

また、メディチ家の舞台の中心として脚光を浴びることになる。

かって、ロレンツォ・イル・マニフィコが各地に派遣していた

ルネッサンスの三大作家、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、


ラファエロがローマに集まり、活躍する盛期ルネッサンスの始まりなのだ。



<メディチ家(雑)研究:その6・つづく>




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