音声コンテンツの著作権は誰にあるか。

喋っている人と脚本を書いている作家にある。

番組を作っている人、例えば放送局には著作隣接権しかない。

そこが映像と違うところ。

もちろん、これまでテレビがDVD化されたりして、収益化に活用されることはあったが、ラジオ番組がCD化されてヒットするような現象は起きたことはなかった。

でも、音声コンテンツのサブスクを始めている今、こうした著作権に関することはとても重要だ。

そもそも収益分配モデルをどうやって作っていくかに関わるからだ。そのモデルの作り方ひとつで未来は左右されると思ってもいる。

ラジオのギャラは安いと言われている。いや、実際に安いと思う。制作マンに払われる制作費も同様だ。もちろん、それなりのメリットがあってこれまで金額とは別のメリットもあり、回ってきたところもある。

しかし、ラジオに投入される広告宣伝費はテレビに比べるとかなり小さい。それなりにラジオは自分たちのビジネスを懸命に営業しながら生き延びてきた。

そうは言っても革命的な技術革新があったことはない。

デジタル放送化も日本では行われなかったし、ラジオは30年と同じ構造の受信機で聞かれている。

唯一あるとすればradikoが出来て、スマホでラジオを聞けるようになったし、タイムフリーという仕組みで、放送後1週間は聞き逃し聴取ができるようになったことくらいだろうか。

かつてエレキギターが発明されてそれを使うロックが生まれたように、音声コンテンツ業界にはラジオの登場以来の革命は起きていない。

むしろ、元来のラジオの聞かれ方である「ながら聴取」。今っぽく言うとハンズフリーのメディアであることは再注目ポイントだ。

だからと言って近年のラジオが儲かっているわけではなく、ラジオ局は全国で収入減の憂き目にあっているし、それが制作費の圧縮に繋がり、結果として制作会社やフリーのスタッフへの支払いに影響している。

ラジオをクリエイターにとって夢と希望のある職場にしたい、とかねがね思っているが、なかなか良い答えは見つからない。

でも、お金を払ってでも聞きたい番組というのは確かに存在するだろう。そして働きに応じて制作者たちも儲かる仕組みを作らないとラジオの未来は無いと最近本当に思っている。

汗をかいた人にきちんとお金が流れる仕組みを作らないと、今後ラジオに関わりたいと思う人が少なくなっていくだろう。(いや、もう既に儲からないこと前提で入ってくる人が多いかもしれない)

こんな時代だ。

音声メディアの未来のことは未だはっきりした方向性が見えてきていない。

もっと考えなくちゃ、だ。

 

 

2018年に仕事でアメリカで行われた「RADIO SHOW」というコンベンションを視察したことがある。

そのときのアメリカのラジオ業界はあまりいい状況ではなく、そのコンベンション自体も何んとな~く暗い雰囲気が漂っていた。

当時のアメリカではnext radioという取り組みが始まっていた。これはアンドロイド携帯の中にあるラジオを聞く機能があるチップをアクティベイトして、ラジオを聞けるようにし、その位置情報などを活用して収益化に結び付ける挑戦だった。

同じ試みが日本でもその後民放連を中心に「スマラジ」として展開された。

その結果は現状を見れば、まあ明らかなのだが、あまりうまくいったとは言えなかった。

しかし、そのコンベンションで何度も話題になったことでもあり、不況のラジオ界において注目だったのは、決して大きい収益を上げているわけではなかったが、ポッドキャストが小さいながらも大きい成長率で伸びている現象だった。

日本では果たされなかったデジタル化もアメリカのラジオはその時すでに実現していたが、そのことがラジオを大きく変えることはなかった。

その中でポッドキャストは順調に成長を遂げていた。

そのことが引っ掛かり、帰国してからそれまで多少はやっていたポッドキャストを改めて進める決心をするのだが、アメリカでは当時「シリアル」という有名なポッドキャスト番組のヒットがあった。これは実際に起こった殺人事件を取り上げて再取材した番組で、これをきっかけに裁判がやり直しになるという社会現象を生んでいた。

こうしたいわゆるクライムもののヒットを見て、やっぱりポッドキャストはこうした社会事件系かなと思い、日本で着手したのはニュース番組のポッドキャスト化だった。

地上波で放送されていたニュース番組が、フラッシュニュース的なものではなく、ニュースをコメンテーターと共に掘り下げる番組だったことが幸いしたのか、そこにコロナ禍も追い風になり、順調に伸ばすことができた。

何かが明らかに変わり始めているとアメリカ出張で感じたことが日本でも起こり始めている実感が湧いてきた。

果たしてポッドキャストが世の中を変えるかどうかはまだわからないが、少なくとも変化がポッドキャストを中心に起こり続けていることは間違いない。

しかしながら、大きい問題がデジタル音声コンテンツの世界に横たわっている。

それは音楽の使用許諾についてだ。

デジタル音声コンテンツ上で音楽を使用することは、もちろん許諾を取りつければ可能だ。しかし、現実的にはそれを音源ごとに個別に交渉し、契約していくことはとても煩雑な作業となる。

そのため、デジタル音声コンテンツ上では音楽は使うことが出来ない、というのが一般的に認識となっている。

オールナイトニッポンのテーマ曲であるハーブアルパートとティファナブラスのビタースウィートサンバ。

この曲はこれまで番組関連の販売物を制作するときも含め、「使えない曲」であった。とも許諾が取れないのだ。

その許諾が「取れない」が具体的にどういうことかについてはなかなか語るのは難しいのだが、実はオールナイトニッポンのサブスクを始めることが出来た、始めるという決断をできたのは、このビタースウィートサンバをアメリカの音楽出版社に直接かけあって許諾を得たことが大きい要因となった。

そもそも東洋の島国日本の全国ネット深夜番組で番組テーマとして自分の曲が使われていることをハーブアルパート氏自身が近年まで知らなかった(なんか使われているなくらいの認識はあったかもしれないが)ということもあったが、我々が直接アプローチすることで今まで難しいと言われていたことが実現した。

ビタースウィートサンバが使えるようになったことはイコールオールナイトニッポンのオープニングトークをデジタルコンテンツとして使うことが出来るということである。

音声コンテンツのサブスクサービス「オールナイトニッポンJAM」はこうして始めることが出来た。

新しいジャンルの仕事を始めるとこうした「地ならし」のような作業も同時に進めなくてはならないことも増える。

その課題解決には時間がかかることも多い。

今もいろいろな作業の真っ最中である。

でも、ラジオはミュージック&トークが王道であり、デジタル音声コンテンツ上で、音楽が使えないことはラジオの要件を満たしていないため、いまひとつ盛り上がりに欠けることも間違いないことだ。

結局僕はラジオが好きなのだ。だから当たり前にデジタル上でトークと音楽を楽しむことが出来る未来を夢見ているし、その実現のために残り少ない仕事人生の時間を使いたいとも思っている。けど、現実はそう甘くはない・・・。

 

「お金を払えますか?」と言う投げかけで前回の投稿を終わらせたが、この部分はかなり重要だと思っている。

放送は無料で見たり聴いたりできるのが当たり前。その一方で映像について言えば有料で見るのが当たり前のものもある。映画だ。

映画についてはずっとお金を払って見るもの。

忘れていたけれど、お金を払って見たり聴いたりする放送があった、NHKだ。受信料を徴収してビジネスモデルが出来上がっている。以上のようなことを踏まえた時、人はどんな時に、どんなコンテンツにお金を支払うのかと言うことが見えてくる。

普通の人が1ヶ月にコンテンツのサブスクに払える金額は1000円くらいという調査結果があり、なんとなく感覚的に納得したことがある。僕は今、新聞を取っていない。ある時期はスポーツ紙、一般紙、日経と3種類取っていたこともあったが、やはり支出としては結構重くて、それほど長い間にはならなかった。
新聞を取らなくても困ることはあまりないと言うのが正直なところで、日本経済新聞が恐らく僕の人生で一番長く取っている新聞になっているけれど、その理由は「そこでしか読めない記事」があるから。しかしながら、それはニュース記事ではなくて、「私の履歴書」であったりする。日経夕刊のエンタメ記事とか大きい写真がすごく好きだったりもする。

先日子供と芋掘りに行って、さつま芋を熟成するための方法として、新聞紙に包んで冷暗所に置いておくことを教わったが、ウチの家には新聞が無くて、芋を包むためにコンビニにスポーツ紙を買いに行ったことがあった。

新聞を取っていなくてたまに困るのはこんなことだった笑。

仕事の流れもあって、ある有料映像配信サイトに入っているが、やはり、何も見ないひと月があったりすると、すごくもったいないと感じるので、辞めようかどうか迷っている。

今年の6月からオールナイトニッポンJAMと言うラジオ番組のアーカイブのサブスクを始めている。

「お金を払ってラジオ番組を聞く」が果たしてビジネスとして成立するかどうかに挑戦中だが、無料で聞けるものを作ってきたためか、どうもお金を払っていただくと言うことにピンと来ていないところがある。

放送局の人は態度がデカい、みたいな印象が話題に上ることがあるが、それは免許事業者として、かなり有利な状況で戦後ビジネスを進めてきた放送局にありがちな一つの傾向でもあっただろう。

「お客様は神様です」と言う感覚が今一つない。もちろん広告主に対してはある。そこが放送を面白くなくしている理由になることもある。誰に尻尾降っているのか視聴者やリスナーにわかってしまうからだ。

放送局にとってのお客様はスポンサーであり、視聴者やリスナーは二の次になることがあるのもまた事実。しかしながら人気番組を作らないよスポンサーがつかないこともまた事実。放送局というのは一般ユーザーと広告主の間を揺れるファジーな仕事であるとも言えるだろう。

それに対して広告業界は明快で時たま羨ましくなる。お客様はスポンサーって決まっているからだ。

広告代理店のクリエイティブというのは広告主へのプレゼンで担当者の気持ちを捉えるかどうかにかかっている。だから広告業界のレジェンドはプレゼンテーションの天才が多い。

しかしながらそのレジェンドがクオリティの高いものを作っているのか?と問われたならば、必ずしもそうではないと言うこともあるだろう。

苦しいところである。

話を戻そう。どんなコンテンツがサブスクのリスナーに求められているのか、それを日々探しながら仕事をしているが、これがなかなか難しく、答えが見つかっていないのが現状。

お金を払ってでも楽しみたいエンタメと無料でなら楽しむエンタメの境界線。そこがまだ見えてきていない。

現在も人気のある番組のアーカイブ聴取が多いことは納得できるが、謎の現象もあった。

「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」。2005年から2008年まで放送されていた番組だが、これがなぜかその後youtubeに(違法)アップされたものが聞かれ続け、なぜか人気番組に。昨年2021年には番組本が出版されるという珍事が起きた。

もちろんアーカイブ聴取の中でも人気コンテンツとなっている。

正直言って、放送当時は決して人気番組ではなかった。だから3年で終了しているのだ。

こう言う現象は時代を先取り「し過ぎていた」とでも言うのだろうか。

スマホで音声コンテンツを聴けるようになり、ポッドキャストもかなり一般的になってきたことを考えると、本当に僕のようなおじさんには先が読めない。もう既に時代とズレてしまっているように思える時が多々あり、軽く落ち込むこともある。

そうは言っても自分が楽しいと思うことをやってきたし、これから先もやり続けるだけなんだとは思っているけれど。