将棋の駒の書体・後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬神宮 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 将棋は相変わらず、人気のゲーム。

若手の進出が、昨今のマスコミをにぎわす。

 

過去に、将棋のルールや駒の字体に、いろいろあって

将棋を趣味にしているわけではないが、それなりに興味がわく。

 

 京都と大阪の府の境に

大阪府島本町があり、その一角に

水無瀬神宮がある。鎌倉幕府の転覆をはかった

「承久の乱」の主人公の後鳥羽上皇を祀るお宮さんだ。

 

歴史の経過を経て

安土桃山時代に、水無瀬神宮の公家で能筆の、水無瀬兼成という人が

書いた「水無瀬書体」があり

現在も、人気のある書体といわれているそうである。

 

 この水無瀬将棋は後陽成天皇、豊臣秀次、足利義昭

さらには徳川家康にも

贈られたという。

 

 

 大阪府島本町の所在地の水無瀬神宮

 

 

 ちょっと字の異なるのが目立つが

この時代の将棋のルールが今と違っていたようだ。

 

 中将棋というのがあって、駒かずが

今は40枚だが、当時は92枚という。

 

 今の将棋は、相手から取ったものは味方の物として使えるが、この中将棋は

取っては捨てるルール。「取り捨て」という。

 

 以後ルールは改変され、現在は小将棋の時代。

有名な大山15世名人は、中将棋を愛好したといわれる。

 

 

 水無瀬神宮の境内。

 

 水無瀬神宮に近い、桂、宇治、木津の川が合流する淀川のほとり。