冬の冷たい、雨に濡れたサザンカの花。
表題のスナックなど酒場のママさん。
血のつながりがないのに、ママさんと一般的に呼ばれる。
考えてみると不思議な呼び方である。酒場の客がママ、あるいはママさんと~
政治の世界では、代議士の秘書は自分の
代議士を「おやじ」と呼ぶ。
田中角栄元首相を、当時の有名な秘書がそのように呼んでいたのが有名。
現今の政治の世界では、こういう言い方は過去の世界のように思える。
ちょっと古いが、芸者衆の世界でも
置き屋のお母さんという言い方があった。
京都・祇園などでは、今もそういう言い方が行われているのではないか。
女の悲しさと、図太さを描いた溝口健二監督作品の
映画「祇園囃子」は、そんな世間模様が見られる名作。
民俗学の世界では、こういう血のつながりのない家族関係を
「擬制家族」と呼ぶとのこと。
よく言われる、義理と人情の世界と似通っているのではないか。
戦前の任侠の世界では<親>分と、<子>分で構成されていたという。
一方で、他国には見られなくて
日本独自の、「家元制度」というのが存在する。
それには、華道、茶道、書道、能楽、日本舞踊などある。
室町時代から連綿と続いているそうである。
この世界は、京都が主流である。
暮れのいけばな展の作品・嵐山渡月橋
ちなみに、家元の流れを記すと。
1)その芸を創始した流祖の嫡流であり、芸と血が正当であることによって
生じる一切の権利を持っている家であり
2)一人の師匠に対して、弟子がいくら増えてもよい構造を持ち
3)感性的なわざを、秘伝として特定の弟子に伝えていく
以上のような意味合いを、持っているといわれる。
先に記した擬制家族と家元制度はどこかで
一線が区切られているようであるが、どこかで
似通った一面を見せる複雑な様相をはらんでいる。
日本の古来からの伝統が現今も
引き次いでいるともいえよう。
♪ 親の血を引く兄弟よりも
かたいちぎりの義兄弟~~
むかし、むかしのNHKのど自慢でよく歌われていた
ベストセラー歌謡曲が思い出される。歌は北島三郎。