京都の天明の大火・蛤御門が開く | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 京都で意外に目につくのが

防火用のバケツ。民家の軒先などに

置かれていて、赤いボディに防火と書かれている。

 

 かつて、江戸時代に京都で大火があった。

「天明の大火」といわれ,

天明8年1月30日(1788年3月7日)に

四条大橋のひとつ南にかかる,

団栗橋付近から出火。

 

 折からの強風にあおられ

市内の約8割が焼失。京都御所、二条城、東西の本願寺なども

焼け,

京都の史上最大の大火といわれる。

 

 

 一般参観で見た、現在の仙洞御所。

 

 この天明の大火で、開くことがなかった、御所の「蛤御門」(はまぐりごもん)が

開門したといわれる。普段はめったに開かれなかったようですね。

 

 

 烏丸通りに、面した場所にある蛤御門。

この門はもともと、新在家門と呼ばれ、普段は閉められたままだった。

天明の大火で、門が開かれ、「焼けて口開く、蛤(はまぐり)」のたとえにならって

 蛤御門と名前をチエンジしたといわれる。

 

 

 その表示の石碑。

 

一方で、蛤御門付近は幕末の政権争いで

会津、薩摩、桑名の各藩の幕府側と、長州藩が衝突。

 いわゆる「蛤御門の変」、ないしは「禁門の変」といわれ

現在も、その門塀に争いの銃弾跡が残されている。

 

 

 大火と政治と変遷の後を、物語る今と昔の蛤御門。

 

話は変わりますが。

 

蛤といえば、正月料理の定番ジャンルに入っていたが

昨今は、お目にかからなくなったような気がする。

スーパーなどでは、店頭にないといってよいのではないか。

 「禁門の変」を戦った、桑名は蛤が名物。

 

ちょっと話題が飛びすぎか。!?

 

 後先になるが、天明の大火で

当時の京都は疲弊し、この年に

江戸幕府の将軍補佐になった松平定信が

 罹災者に炊き出しなど、食料品の救済の手を差し伸べたと記録されている。

 

 

 

 現在も、街中に置かれる赤いバケツ。

京都の良き風習といえようか。