造船ブームの面影・相生の皆勤橋 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

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 戦後まもない時期は、日本は造船ラッシュに湧いた。
 
「造船日本」の時である。
 
 山陽新幹線が開通した際、播磨西部の小さな町の相生市に
 
停車駅が作られることになり、当時話題になったようである。
 
 その背景には、相生市が造船の町として
 
全国でも、トップクラスの存在感があつたのかもしれない。
 
 しかし、今は造船は韓国などにその地位を譲った。
 
時代は変わる。
 
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 現在の相生の町は、ひっそりとしている。
 
船を漕ぎ合う、初夏の風物詩「ペーロン祭」の会場になるポート公園と
 
 対岸の今の石川播磨重工業(IHI))にはかつて
 
「皆勤橋」(かいきんばし)がかかつていた。
 
 全長200メートル余り。10隻の箱船を並べた
 
「ポンツーン」という名の架け橋である。
 
 現在はその名残りはないが
 
そのモニュメントの一つとして、ステンレスの
 
 プレートが掲げられている。
 
その文句が、艷やかでおもしろい。
 
 地元の詩人高須剛さんの作品。
 
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 ポート公園のペーロン祭の模型。
 
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 この公園と、向こうの相生湾奥の陸地をつないでいたのが皆勤橋。
 
今は、通船や遠回りして車で、IHI相生工場方面に
 
 向かうことになる。
 
この対岸には、明治時代に造船所ができ
 
 その後、播磨造船所となり、皆勤橋が出来たのは
 
昭和18年。戦後を迎え造船ブームに。
 
 昭和37年頃は、単独工場では世界一の船の建造量を
 
誇っていたそうである。当時は1日に1万人の通行があったという。
 
 ほとんどが、自転車通勤である。
 
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 皆勤橋は、先に見えるのがそれだと思って
 
地元の人に聞くと、そうではなく相生湾の突端に行く橋だった。
 
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 向こうの岸に見えるのが、合併した石川播磨重工業相生工場。
 
今は造船は行われおらず、補修だけのようだ。
 
 造船の町だった相生市は、今はその面影だけを残す。
 
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 「いこか もどろか 皆勤橋は波の上~
 
     橋のたもとに佇むものは 雨傘だいて 主を待つ
 
                     可愛いあの娘やないかいな~」
 
皆勤橋というと、今では時代遅れのような言葉だが
 
 どこか、懐かしさを感じるネーミングである。
 
写真の松は、なにかを皆勤橋に問いかけているようにも思える。
 
 2代目の松だそうである。