








見せる自然が豊かなところだ。
川や水際に親しめる空間が広がりを見せる。
保津川下りが有名だが、この川を開拓した人が
京都の豪商の角倉了以(1554~1614)。
角倉了以は当時、安南国といわれたベトナムとの朱印船貿易で
巨益を上げる。晩年は河川の開削工事に打ち込み
保津川、高瀬川、富士川などの工事を完成させる。
保津川は1606年に着工、半年で完成させ丹波との
農作物を京都に運ぶ舟運ルートが出来上がる。
工事は川の石を焼いて砕き取るなどの手法をとった事が
資料に残されている。
大悲閣は千光寺とも呼ばれ、角倉了以が開削工事の
関係者の菩提を弔う為に創建。後半はここを隠棲の地にする。
寺は檀家がなく寺の財政が苦しいようで、お寺の感じが
しない山荘のような趣だ。きちんとしたたたずまいの大小の寺が
多くみられる京都にしては珍しい存在。
本堂となりには広間が設けられ、角倉了以の木造が
まつられているほか貿易、工事関係の資料などが置かれている。
また、窓からは比叡山からの東山36峰、市街の広々とした
光景が遠くにのぞむ事ができる。プログの写真には御室の五重の塔も
かすかに映っている。
大悲閣は渡月橋から保津川上流の嵐山の中腹にある。
松尾芭蕉や谷崎潤一郎らの文人が訪れている。
花の山 二町のぼれば 大悲閣 芭蕉
※ 桜のある風景写真は江戸時代の頃の描写か。大悲閣の広間で撮影。