夏の盛りにも
少しずつ
陰りが出てくるこの時期に
”お盆休み”とか
”夏季休暇”とか
言い方はそれぞれだけど
一般的には休みがある。
今日からまた日常に戻り
いつもと変わらない生活で
仕事や家事へと
取り組む日々がスタートした。
一方では
猛暑の忙しさの中にも負けずに
その国民的な夏休みを
陰で支えながら
日夜、業務に励まれる方々も
当然ながらいらっしゃる。
本当に感謝だと思う。
海外への観光レジャーで楽しむ人
故郷へ帰省してゆっくりと過ごす人
クーラーの部屋でゴロゴロとする人
いろんな過ごし方があるけど
昨今でも
日本人の風習としては
ご先祖様への墓参りを兼ねた
お盆休みが主流だと思っている。
お盆は墓参り・・・
つまりは
亡くなった方々への供養として
感謝や日頃のご報告など
それぞれの思いを持って
目に見えない世界に向き合うという
まさに・・・
スピリチュアルな世界観。
各宗教団体の信者さん・・
だけの特別なシーズンではなく
唯物論的な科学者の先生だとしても
身近な親や
大切な友人などを
亡くされたのであれば
自然とお墓に出向いて
手を合わせたくなる
不思議な不思議なひと時なのだ。
目に見えない世界は信じないけど
墓参りは別物として考えるのか
霊的や神がかり的なことを
まったく受け入れない人でも
先祖供養は習慣として行うのか
その真相はどうであれ
日本中が目に見えない世界に対して
敬意を抱くと言う意味では
単純に凄いことだと思う。
外国では一定期間
断食をしたりする宗教・文化もある。
その方々は日頃から
熱心な信者さんでもあるために
何の躊躇もなく全うするかたちで
”業”として行われるのかも知れないが
日本人はあらゆる風習は残しつつも
”その場限り”であるコトが多い。
死後の世界を信じる・信じない
神様の存在を信じる・信じない
宇宙人との交信を信じる・信じない
受け入れるか否かは
その人次第であるにせよ
お墓自体が住宅事情のように
深刻な問題となっている背景には
実際のところ
皆が
”死後の先にある
見えない世界を信じ
何かしら考えている”
ということであり
人としては自然な流れで
当たり前な考えだと思う。
呪いや怨念をまとった怪談や
踏み込んだ霊的な話になると
恐怖をあおることとして否定し
そっぽを向いてしまう傾向があるけど
実際にはそのような経験者がまれなので
おとぎ話的にあしらわれてしまいがちだ。
この世にもいろんな考えで
さ迷う人々がいるのなら
あの世にもいろんな条件で
浮かばれない魂もあるのでは?
と僕は考え信じているタチなのだけど・・
実際に何かが見える訳ではないw
人間の生きる仕組みや
宇宙の中の地球における
生物・自然の神秘さが
凄すぎて理解不能である以上
その不思議な不思議な
この世の仕組みに対して
納得いく説明が
見つからない以上は
目に見えない世界の偉大さに
敬う心を持つことは
自然だと考えているだけ。
だから
身近な人の死を思いしのび
先祖の霊に敬意を抱き
人間として素直に
手を合わせることが出来る
”お盆”
という風習は
とても素敵な習慣だと思っている。
されど
日本人。
世界のいろんな宗教行事に
イベント騒ぎのように便乗し
商業目的を散りばめる。
年末にはクリスマスで
ひと騒ぎして・・
か ら の
お正月みたいな流れw
どうせなら
世界的な宗教の”業”である断食も
まねてみて、なにかしら
便乗してみてはどうだろうか?
国際的な宗教行事を
形として受け入れるだけではなく
スピリチュアルな感性を
もっと柔軟に受け入れ
自然な流れとして組み入れたら
人々の心は
もっと素晴らしく磨かれ
お互いを敬うように支えあい
それぞれの個性が花開く・・
そんな理想の世界を妄想しながら
お盆休みを利用して
ご先祖様に手を合わせてきました。
僕の心の底では
墓参りするといいことあるかも♪
と願掛けのお参りのように
金銭的な奇跡も願ってみようかと
罰当たりな思いも浮上しますが
さすがに墓の前に立ち
仏前の遺影に対しては
心の闇は消え去り
無心となって向き合っていました。
逆にじいちゃんには見透かされ
ちゃんと生きろ!
と叱られているような気がして・・
どんな意味や動機であっても
目に見えない世界を信じ
敬うという心を大切にすることで
何か人間としての奥行きを感じ
まだ見ぬ未知への世界の扉に
触れられるような気がしながら
・・・・・
・・
僕の日常もスタートしたのですが
やっぱり現実と向き合うのは
辛いよねw