聖天町法界坊。

法界坊の住処は浅草聖天町。
こちらは二股大根で有名な、待乳山聖天。

2011年、隅田公園に
平成中村座が建ったときにお参りしました。

法界坊が勧進しているのは、
浅草竜泉寺の釣鐘建立。

浅草からもほど近い台東区竜泉に、
「龍泉寺」というお寺が現存しますが、
関係があるのかどうか?


「隅田川続俤」の舞台では、
まず、「向島大七入口の場、座敷の場」。
「大七」は実際にあった料亭の名だそうです。

向島は江戸時代から
風光明媚な場所として知られていました。
〈向島百花園〉


次に「牛の御前鳥居前の場」。
「牛の御前」とは、現在もある牛嶋神社のこと。

ただし、当時はさらに上流の
長命寺近くにあったそうで、
今は、旧牛嶋神社の石碑が残されています。
〈長命寺桜餅店〉

またこの場では、おくみを乗せた駕籠を
「しめこのうさうさ」と囃しながら
荒縄で巻くところで、
長命寺の桜餅も小道具として出てきます。
(今回の猿之助版では、なし。)


「三囲土手の場」。
法界坊が殺され、野分姫の霊と合体する
三囲土手。
〈三囲神社の三本足の鳥居〉
今は土手の上の高架を
高速道路が走っていますが、
当時はうら寂しい場所だったのでしょうか。

この三囲神社は、歌舞伎の他のお芝居でも
舞台になっている有名な場所。
(「桜姫東文章」、「道行浮塒鴎」など。)

今年の8月に、長命寺から三囲神社にかけて、
訪れることができました。


そして、「隅田川渡しの場」。
隅田川にはいくつかの渡しがあったようです。

背景に待乳山聖天が描かれていることから、
「竹屋の渡し」のようです。
〈「歌舞伎on the web」より 〉 
                
現在の台東区スポーツセンター
(2011~12年に平成中村座が建った場所)には、
渡し跡の碑があるそうです。



能や歌舞伎の「隅田川の世界」。
都から人さらいにかどわかされた幼子が、
東国の川辺で息絶える⋅⋅⋅
という切ない物語です。

この「隅田川続俤」も、
かなりドタバタの
喜劇的な部分が多いですが、
「隅田川」系統の物語。

さらに上流にある木母寺には、
幼子梅若丸を葬ったという
梅若塚があります。

いにしえの言い伝えが残された街、
隅田川かいわい。


⋅⋅⋅そして隅田川周辺を歩くときに
忘れてはいけないのが、
東京大空襲のこと。

多くの人の犠牲の上で、
今の平和があるということ。

〈隅田川岸から眺めるスカイツリー〉