近江 望湖神社/繖峰三神社 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①望湖神社拝殿②望湖神社本殿③望湖神社石燈籠④繖峰三神社麓社殿⑤坂下し祭りの坂⑥繖峰三神社鳥居

 

訪問日:2024年6月

 

所在地:滋賀県東近江市

 

 徳永寿昌は、天文18年(1549)伊庭庄を領する徳永昌利の子として近江国神崎郡徳永村に生まれた。天正10年(1582)長浜城主となった柴田勝豊(勝家の甥)に仕えたという。

 

 天正11年(1583)勝豊は賤ヶ岳の戦いを前に羽柴秀吉に降伏、病気療養先の京都で死去した。勝豊に付き添っていた寿昌は秀吉の直臣となる。

 

 天正13年(1585)羽柴(豊臣)秀次が近江八幡城43万石の大名となる。おそらくこの時に秀次の附家老となったのだろう。

 

 天正18年(1590)秀次は改易された織田信雄の尾張・美濃の所領を加増され、近江と合わせ100万石の大大名となる。寿昌も尾張と美濃に2万石(のち3万石)を与えられ、美濃高松城主となる。

 

 文禄4年(1595)秀次切腹事件にはなぜか連座することなく、秀次の妻子は京都の寿昌邸から処刑場に運ばれている。その後は再び秀吉の直臣となる。

 

 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは東軍に与し、高木盛兼の美濃高須城などを攻略、また3男・昌純を伊庭に送り、大津城に籠る京極高次のもとに、3度にわたり船による弾薬の補給を成功させた。

 

 功により、寿昌は2万石を加増され、居城を高須城に移し、高須藩5万石の初代藩主となる。慶長17年(1612)寿昌は高須にて64歳で死去、長男・昌重が継いだ。

 

 寿昌は信仰心篤く、所領の美濃高須や赤坂のみならず、故郷である伊庭庄の大濱神社や望湖神社、妙金剛寺の新造・修復に携わっているようだ。

 

 

以下、現地案内板より

 

●日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」構成資産

 望湖神社

 

 伊庭庄の産土神として尊崇を集め、祭神は藤原鎌足を祀る。

 建久4年(1193)、大和国多武峰より伊庭庄に勧請され、かつては多武大明神と称し、集落の北に鎮座した。慶長6年(1601)伊庭庄の領主徳永寿昌が願主となり、伊庭山の麓に社殿を造営し遷座した。

 なお、明治4年(1871)より望湖神社と称する。

 伊庭祭りの坂下しでは、伊庭山上の繖峰三神社の三社、山麓の当社、里の大濱神社の5社の神々(神輿)が集落や周辺の田畑を巡り、伊庭内湖畔の郷頭野へと渡御するさまは、まさに祈りと暮らしの水遺産であるといえる。

 当社の本殿は、棟札から元禄4年(1691)に建立された三間社流造で、滋賀県指定文化財。石灯籠は南北朝期のもので、社殿造営時に勧請元である多武峰談山権現(現談山神社)より贈られたと伝わり、東近江市指定文化財である。

 

日本遺産「水の文化」東近江市地域協議会

 

 

東近江市指定文化財

 石燈籠一基

 昭和47年11月3日指定 南北朝時代

 

 花崗岩製の六角型石燈籠で、総高は2.3メート ルである。宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の各部を完備し、基壇上部には複弁の反花を造り出し、各面輪郭には格狭間が彫出されている。無銘ではあるが笠の蕨手や竿の中節の様式など、南北朝時代の作風がみられる。

 現在、望湖神社拝殿に単体で存在しているが、もとは大和多武峰(奈良県桜井市南部)に一対であったという。慶長6年(1601)の運座の際、祝いとしてそのうちの一基が送られたとされている。

 

東近江市教育委員会

 

 

●日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」構成資産

 繖峰三神社

 

 繖山の支峰伊庭山の山頂近くに鎮座し、二ノ宮、八王子、三ノ宮の三柱を祀る。

 伊庭祭の坂下しでは、前日の御輿上げで、大濱神社仁王堂から三基の神輿を運び、集落総出で急峻な山道を繖峰三神社まで引き上げる。

 坂下し当日、三柱の神を遷した神輿は、大演神社、望湖神社の神輿の待つ坂下に向かって、台懸けや二本松といった難所を引きずりおろされる。

 坂下しが終わり、坂ノ下遥拝所前で五基の神輿がそろうと、神輿を飾りたて、望湖神社前を通り、伊庭集落の大濱神社へと渡御する。そして、繖峰三神社の三柱の神は、山麓の望湖、 里の大濱の神と共に翌日卯の時の渡りで集落を練り歩き、伊庭内湖畔の郷頭野の御旅所へと向かう。

 八百年前から変わらず、集落に豊穣を願う伊庭祭坂下しの起点である繖峰三神社は、祈りと暮らしの水遺産を象徴する文化財である。

 

日本遺産「水の文化」東近江市地域協議会

 

 

伊庭の坂下し

 

 「伊庭の祭りは干支祭り、辰に昇りて巳に下る」

と歌われており、以前は四月下旬から五月上旬の辰、巳の日を選んで祭りが行われていたが、近年は五月の連休を利用し、四日に「坂下し」が行われている。

 前日、この大島居より繖峰三神社に上げられた神興三基に三神の御分霊を遷し、氏子の若衆の手により三ノ宮、八王子、二ノ宮の順に、断崖絶壁の坂道(約1キロメートル)を勇壮なかけ声とともに山麓の大鳥居まで下す神事である。

  伊庭の祭りを一度は見やれ 男肝つく級下し

  あれを見やんせあれ二本松 神興おどらす谷の底

と歌われ、道中難所といわれる「台懸」や「二本松」等、見物人も手に汗をにぎる危険な見せ場がいくつかある。

 

東近江市