①中心伽藍
②東重門
③中門
④講堂/亀池/北鐘堂
⑤東大門
⑥石鳥居の奥に極楽門
訪問日:2024年6月
所在地:大阪市天王寺区
日本書紀によれば、推古天皇元年(593)に造立が開始されたという四天王寺は、たび重なる災害のため、古い建物は失われている。
承和2年(836)に落雷で五重塔が破損、天徳4年(960)にも火災により主要伽藍が焼失した。康安元年(1361)には地震により金堂が倒壊する。
応仁の乱(1467-77)では、大内政弘が放火、天正4年(1576)には、石山合戦における天王寺の戦いでは、織田信長勢に焼かれた上、寺領を没収された。
天正12年(1584)金堂が再建され、文禄3年(1594)からは、豊臣秀吉による復興が行われ、慶長5年(1600)には豊臣秀頼により、大和国額安寺から五重塔が移築された。
しかしこれらは、慶長19年(1614)の大坂冬の陣の兵火で焼失した。江戸幕府により復興されたが、享和元年(1801)に落雷で焼失、文化10年(1813)に再建され、明治維新を迎えている。
昭和9年(1934)9月には室戸台風により五重塔が倒壊、金堂なども大きな被害を受け、昭和14年(1939)に再建されたが、昭和20年3月の大阪大空襲により焼失、残っていた当時の国宝・東大門も失われた。
昭和38年(1963)に落慶法要が営まれた8代目といわれる五重塔など、現在の中心伽藍は鉄筋コンクリート造だが、外観は創建当初の様式を再現したという。
中心伽藍以外では、元和4年(1618)建立の元三大師堂、元和9年(1623)建立の六時堂・五智光院・本坊方丈、神仏習合の名残の永仁2年(1294)の石鳥居(いずれも国重要文化財)が現存する。
以下、現地案内板より
創建の由来
四天王寺は、聖徳太子が推古天皇元年(593)皇太子として最初に建立された寺であります。父帝用明天皇が崩御された後、皇位の継承をめぐって、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋等が相争った時、当時14歳の少年 でありましたが、後の聖徳太子、厩戸豊聰耳皇子は、馬子等の崇仏派のために、仏法守護神である四天王に戦勝を祈願されたのです。幸い戦いは崇仏派の勝利に終わりました。聖徳太子は20歳の時、摂政皇太子となられるに及んで、荒陵の地に日本最初の官寺を建立して、ここに四天王を祀り、また四箇院の制に則って、各種の社会事業の施設を設けられました。
四天王寺が、特に思想的に重要な意味を持つのは、ここに四箇院が建設されたことによってであり、四箇院とは、敬田、悲田、施薬、療病の四つの施設のことであります。敬田院とば仏の智慧を悟るところ、つまりは仏教精神を基本に健全な教育を育み、悲田院は老人や孤児を救済する施設であり、施薬、療病の二院は今日の病院にあたります。仏教には古くから福田思想があり、太子もこの精神に則ってこれらの福祉施設をつくられたのでありましょう。この福祉施設は日本最初のものであり、後世に深い影響を与えたものであります。
四天王寺伽藍は、日本でもっとも古い様式に配置され、一般に四天王寺式と呼ばれています。伽藍の中枢部は、中門(仁王門)を入ると五重塔があり、金堂、講堂の順に南面して一直線上に建てられています。中門と講堂とを結んで左右に回廊があり、塔はもと仏の舎利をおさめたものであって仏をあらわし、金堂は法を、講堂は僧をあらわして、そこに仏法の三宝が象徴されているのです。なおら今次の再建にあたっては、基壇にあたる地域から飛鳥を始め各時代の古瓦が発掘され、この寺の歴史を物語るものがありました。
今日においても聖徳太子ゆかりの霊場として、広く一般市民の信仰を集め、毎年春秋二季のお彼岸には百数十万の参拝者が参詣致します。毎月21日の大師会にも常に数万の参拝者があり、境内には露天が解を並べて賑わっています。今もなお「大阪市民のお仏壇」の名で、各宗各派を超えて信者を集めているのであります。
夕陽に映える、歴史のいきづくまちなみ
四天王寺
かつて大阪湾は今よりさらに内陸部へと食い込み、四天王寺のすぐ西にまで迫っていました。 上町台地からは、水平線に沈んでいく美しい夕陽の姿を眺めることができました。
新古今和歌集の選者の一人である歌人藤原家隆は、この地に夕陽庵という庵を結び、「契りあれば難波の里に宿りきて波の入日を拝みつるかな」という歌を詠みました。現在でも谷町筋沿いに「夕陽丘」という地名が存在するなど、古来より夕陽が美しいことで知られています。
四天王寺のシンボルとなっている西門の石鳥居は、古来より西方極楽浄土の東門にあたると信じられており、現在も真西に陽が没する彼岸の中日に、夕陽を拝して極楽浄土を観想するという修法「日想観」が行われています。
今回、大阪市の「上町台地マイルドHOPEゾーン事業」の補助制度を活用し、「夕陽を見る場」として石鳥居前の道路の美装化を行いました。
これにより、今まで以上に夕陽をきれいに見ることができるようになりました。
四天王寺を訪れた際は、ぜひ一度ここで足を止め、沈む夕陽に手を合わせてはるか西にあるという極楽浄土の情景を思い描いて みてください。