河内 瓢箪山稲荷神社 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①鳥居②拝殿③社殿④境内社と瓢箪山⑤境内⑥山畑52号墳(瓢箪山)

 

訪問日:2024年6月

 

所在地:大阪府東大阪市

 

 辻占とは、夕方に辻に立って通りすがりの人々が話す言葉を元に占うもので、万葉集にも「夕占」として登場する。瓢箪山稲荷神社の側を通る東高野街道では江戸時代にはその風習があったという。

 

 また、同様に橋のたもとに立って占う「橋占」も存在し、京都一条堀川の戻橋がその名所であった。また、辻占や橋占に扮して諜報活動を行う忍者もいたようだ。

 

 瓢箪山稲荷神社で現在も行われている辻占は、明治の初めに宮司が独自の「辻占」を創始して評判となり、日本全国に知れ渡るようになった。

 

 江戸時代後期には、子供が辻に立ってお神籤を売る「辻占」も登場した。昭和8年(1933)児童虐待防止法の成立により、道路にて児童を使って物品を販売することが禁じられるまで続いた。

 

 また、お神籤を菓子に入れた「辻占煎餅」「辻占昆布」「辻占豆」「辻占かりんとう」などが、夜の街などで流行した。今も「辻占煎餅」は、北陸地方や伏見稲荷神社周辺などで購入することができる。

 

 この「辻占煎餅」は1910年代前半に、サンフランシスコで日本庭園を設計・運営した庭師によって海を渡り、1915年に当地で開催されたパナマ万国博覧会に出品され、Fortune  cookieとして世に広まった。

 

 その後、Fortune cookieは大量生産され、サンフランシスコやロサンゼルスの多くの日系飲食店に卸されたが、第二次世界大戦時の強制収容により、これらの店は姿を消した。

 

 大戦後は日系飲食店に替わり、中国人が経営する中華料理店の多くがFortune  cookieを提供するようになり、全米に広まった現在はアメリカ文化として定着している。

 

 

以下、現地案内板より

 

瓢簞山稲荷神社

 

 瓢簞山稲荷神社は、旧四条村字大塚にあり、山麓に群集して築造された山畑古墳群中、最も古い6世紀初め頃に造られた最大の古墳、通称“瓢箪山古墳(双円墳)”の西斜面に、西面する社殿が建てられています。稲荷神すなわち保食神を祭神として祀り、辻占の総本社として知られています。

 社伝によると、天正11年(1583)に豊臣秀吉が大坂城築城に当たり、巽(東南)の方向三里の聖地に“ふくべ稲荷”を鎮護神として祀り、金瓢を埋め、尊崇篤かったといわれています。

 江戸時代の貞享5年 (1688)の村絵図には、「古跡大塚」と記す瓢形の山が描かれ、「いなり」と書かれて江戸時代の早い頃から稲荷社がまつられていたこと、享和元年(1801)刊行の『河内名所図会』には「如ト」として、すでに東高野街道で辻占が行なわれたことを記しています。

 幕末の頃から明治・大正時代にかけて、神社から東高野街道までの参道両側には、たくさんの旅館・茶店がならんで大いに繁盛し、大阪堂島の米相場の上り下りも、この辻占によって占われました。

 街道西側の、通称“みこの辻”は神霊の降るところといい、辻占の占場となっていたところで、古くから往来者の言動・持物などで事を占っていました。現在は東参道へ移されています。

 

平成28年3月 東大阪市

 

 

瓢簞山稲荷神社

鎮座地 東大阪市瓢簞山町  祭神 保食大神

由緒

 日本三稲荷の一 辻占總本社 創建は豊臣秀吉、 大阪築城に当り方三里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したるを由緒とする。

 江戸時代より門前の東高野街道沿いにおいて辻占いの風習があり、明治初年宮司山畑阿良美が「辻占」を創始するに及び淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占として全国津々浦々に知られている。今の本殿は慶応2年に建てられた。

 社をまつる小丘はこの地一帯にある山畑古墳群の中でも最古最大に属する6世紀末古墳時代後期の双円墳であり、瓢簞山と称する由来である。

 

祭日  初午日 2月初午日  月次祭 1日、18日  

例大祭 7月18日(稲荷祭) 17日(宵宮)

 

東大阪市 東大阪市観光協会