摂津 丹生神社(高羽) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①拝殿②鳥居③高羽川

 

訪問日:2024年5月

 

所在地:神戸市灘区

 

 丹生神社が鎮座する高羽のあたりは古くは「覚美の里」と呼ばれ、鏡作りの人たちが鍛治に最も縁深い水神を祀ったと伝わり、昔は六甲山中腹「ユブネ」「カナホリ山」付近(現在の桜ヶ丘の上方)に祀られていたという。

 

 桜ヶ丘銅鐸・銅戈群は、昭和39年(1964)神戸市灘区桜ヶ丘町の尾根稜線から少し下った標高243mの北東方向を向いた斜面地で、土砂を採取していた人たちによって偶然に掘り出された。

 

 14口の銅鐸(長さ21.5~64.5cm、重さ0.48~14.1kg)と武器形祭器とされる7口の銅戈(27.2~29.0cm)が一括して埋納されていた。銅鐸のうち動物や人が描かれたものが4口(1号,2号,4号,5号)含まれていた。

 

 この14口の銅鐸の製作された時期には明らかに差異が認められ、また一部の銅鐸(1号,2号,3号)は他地域(大阪府・滋賀県・鳥取県・島根県)で出土したものと同笵(同じ鋳型で作られた)という。

 

 銅鐸に描かれた動物や人などの絵画は、農耕に関わるものと考えられ、農耕の祭祀に使用されたという説が有力だが、個人的には銅戈(または銅矛)とセットで男女の和合の象徴も兼ねていた気がする。

 

 銅鐸は菱環鈕式(Ⅰ式)〜外縁鈕式(Ⅱ式)〜扁平鈕式-1(Ⅲ式-1)〜扁平鈕式-2(Ⅲ式-2)〜突線紐式(Ⅳ式)と変遷し大型化していった。前3者が石製鋳型、後2者が土製鋳型で製作されたという。

 

 さらに細分化すると、桜ヶ丘銅鐸群のものは、Ⅱ式2区流水文(1号〜3号)、Ⅱ式4区袈裟欅文(12号)Ⅲ式-1,4区袈裟欅文(13号)、Ⅲ式-2,4区袈裟欅文(4号,5号,11号,14号)Ⅲ式-2,6区袈裟欅文(6号〜11号)となる。

 

 桜ヶ丘銅鐸群には、最古のⅠ式と最新のⅣ式が含まれていなかったことから、弥生時代中期末から後期初め頃(紀元前200年頃〜紀元後100年頃)に埋納されたと推定されている。

 

 銅鐸が埋納された時期は紀元前後と2世紀に集中し、その意図的な埋納の理由については諸説がある。昭和45年(1970)「桜ヶ丘銅鐸・銅戈群」として国宝に指定された。

 

 

以下、現地案内板より

 

髙羽丹生神社略記

祭神  罔象売神 八幡大神 須佐男命

祭日  例祭5月9日 秋祭10月9日

御神徳 水の神として農産業水利業及び台所の守護神と日常生活上不可欠なる神恩を蒙り其の御霊験は広大無辺である

沿革  創立年代は不詳なるも往時より水神を祀りし社なり 元村社神饌幣帛料供進神社

 明治40年村内八幡社須佐男社を合祀す

 昭和15年4月本殿並に拝殿を改築 昭和21年5月20日宗教法人となる

昭和47年秋作