摂津 雲松山 慈祥院 鶴満寺 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

①本堂②鐘楼③観音堂④観音堂⑤山門⑥遠望

 

訪問日:2024年4月

 

所在地:大阪市北区

 

 鶴満寺は、寛保3年(1743)大坂の豪商・上田宗右衛門広久が譲り受け、大和国から移して宝暦3年(1753)堂宇を完成させたという。本尊は伝・慈覚大師円仁作の阿弥陀如来。

 

 また新西国三十三箇所第三番札所で、観音堂の子安観音は、第112代霊元天皇の後宮・入江伊津子が嘉智宮(1709-13)出産に際し、安産祈願のため奉納したものという。

 

 宗右衛門による堂宇の完成前の作とすれば、子安観音も宗右衛門が入手したものか、この場所に前身となる寺院があったのかもしれない。

 

 国重要文化財に指定されている鶴満寺所蔵の太平10年(1030、中国・遼の元号)鋳造の朝鮮鐘は鐘楼には見当たらなかった。どうやら大阪歴史博物館に寄託されているようだ。

 

 この銅鐘は、永和5年(1379)頃に日本に渡来し、長門国の普済寺(宇部市)の鐘となったという。朝鮮は高麗(918-1392)末期で、倭寇によりもたらされたとも考えられるが、その背景は不明。

 

 その後、普済寺は廃寺となり朝鮮鐘は地中に埋もれたまま忘れられた。寛文10年(1670)長州藩家老・福原広俊が父の菩提を弔うため、普済寺の地に宗隣寺を建立したが、鐘は埋もれたままだったようだ。

 

 そして元文年間(1736-41)に堤防普請の際に掘り出され、藩主・毛利宗広はこれを大坂に運び、宗右衛門に鑑定させた。宗右衛門はこの朝鮮鐘を大金をもって譲り受け、鶴満寺の鐘としたという。