紀伊 小竹八幡神社(小竹宮/薗御殿) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①社殿②龍王大海神社③宿祢/恵美須神社④境内⑤鳥居

 

訪問日:2024年2月

 

所在地:和歌山県御坊市

 

 小竹は「しの」「しのう」と訓む。小竹=ササ=篠=しの、、、ということか?ちなみに竹(和名タケ)も篠竹(和名メダケ)も矢竹(和名ヤダケ)もイネ目イネ科タケ亜科である。

 

 小竹八幡神社(本来は北へ約1kmの元宮、今回は参拝せず)の他にも、志野神社(紀の川市)・波宝(はほう)神社・旧府(ふるふ)神社(大阪府和泉市)も小竹宮の候補地として挙げられている。

 

 『日本書紀』によると、三韓征伐から凱旋した神功皇后が忍熊王を討つべく「小竹宮」に遷ったが、昼も夜のように真っ暗な状態が何日も続いたので、皇后が紀直の祖・豊耳にその理由を尋ねた。

 

 古老によると、この怪異は「阿豆那比(あずなひ)の罪」によるものといい、小竹宮の小竹祝(はふり)と天野宮(かつらぎ町の丹生都姫神社か)の天野祝の二社の神職を合葬したのが原因ではないかという。

 

 小竹祝が病没すると、仲の良かった天野祝がこれを嘆き悲しみ、小竹祝の屍の側で亡くなったため、二人を同じ墓に埋葬していた。そこで墓を掘り起こし別々に葬ると、日が輝き出したという。

 

 日蝕が何日も続くということはないので、この「常夜を行く」状態を自然現象で説明するのは難しい。また「あずなひの罪」が具体的に何を指すのかもよくわからない。

 

 小竹宮の所在については紀伊国での出来事と思われるので、実在したとすれば小竹八幡神社も有力だが、丹生都姫神社に近いのは志野神社のほうである。

 

 

以下、現地案内板より

 

小竹八幡神社

 

(主祭神) 誉田別命・息長足姫命・小竹大神

(配祀神) 天児屋根命・紀道成朝臣夫婦之神霊

(境内社) 恵美須神社・宿禰神社・龍王大海神社・金比羅神社・天照大神神社・天満神社・稲荷神社

(由緒) 当社由緒については、日本書紀に所載の神功皇后並びに応神天皇由緒の地、小竹宮に由来するお社であるといわれている。沿革については伝承によると、往古は一の鳥居は北塩屋矢熊ヶ鼻(御坊市)に、末社49社、経堂一ヶ所の壮麗な社殿を存していたが、天正の兵火にかかり古文献、宝物等を焼失し去ったとある。

神社明細帳の起債によると「勧請年月日不詳然れども國史所載する小竹宮の旧跡にして昔時薗地内の紀小竹という所に鎮座ありしを延宝年間今の地に鎮座し、旧地を本宮或いは元八幡という」とある。

現在の境内地は、もと藩候徳川頼宣の別邸地、薗御殿跡に延宝6年(1678年)遷宮され、神殿の向きは神占により東向きとなしたのである。

当社例祭は「御坊祭」ともいわれ、各氏子組には獅子屋台と四ッ太鼓と呼ばれる太鼓台があり、祭礼当日には、けほん踊り・雀踊り・奴踊等が奉納され、獅子舞が演じられる。また、「けほん踊」は和歌山県無形文化財(第1号)に指定され、国の記録選択無形民俗文化財にもなっている。「雀踊」は和歌山県無形民俗文化財に指定されている。

(例祭日)夏季例祭 7月14日  秋季例祭 10月4日  (宵宮)10月5日