兵庫県 三木鉄道 三木駅 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

①駅舎②ホーム跡③ホーム跡④ホーム跡⑤枝線跡⑥信号機

 

訪問日:2024年1月

 

所在地:兵庫県三木市

 

 大正5年(1916)播州鉄道国包駅(現・厄神駅:加古川市)ー別所駅(三木市)間が開業、大正6年(1917)別所駅ー三木駅間が延伸して、厄神駅ー三木駅間6.6km開業。

 

 大正12年(1923)経営を引き継いだ播但鉄道は、大正15年(1926)三木駅から明石市大明石町までの免許を取得したが、昭和12年(1937)に失効している。

 

 主に美嚢川の舟運を代替する貨物輸送の目的で、加古川・高砂に向け線路が敷かれたため、旅客輸送は元々少なかった。昭和18年(1943)国有化により鉄道省三木線の駅となる。

 

 昭和12年(1937)三木電気鉄道(現・神戸電鉄)三木東口駅(現・三木上の丸駅)、昭和13年(1938)三木福有橋駅(現・三木駅)が開業、京阪神方面の旅客はさらに減少していた。

 

 昭和43年(1968)には赤字83線に選定され、昭和49年(1974)には貨物の取扱も廃止、昭和60年(1985)第三セクターの三木鉄道(社長は三木市長)に転換される。

 

 しかし転換後は国鉄加古川駅への直通列車もなくなり、乗客は一層減少して、国鉄から受給した転換交付金が平成8年(1996)底をついてからは三木市が赤字補填をした。

 

 三木市の財政は苦しく、平成18年(2006)の市長選挙で三木鉄道の廃止などを公約に掲げた新人が存続を主張する現職に勝利して、三木鉄道の廃止が事実上決定した。

 

 同年の市民アンケートでも廃止賛成が70%、存続が11%だったといい、平成20年(2008)三木鉄道は全線廃止され、三木駅も90年余りの歴史を閉じた。

 

 

以下、現地案内板より

 

三木鉄道跡地と「淡墨桜」

その昔、三木の志染の里に二人の皇子が隠れ住んだとの伝説がある窟屋の金水、その二皇子と縁のある第26代継体天皇がお手植えの桜が、「淡墨桜」(別名エドヒガンザクラ)です。

「淡墨桜」の故郷は、岐阜県本巣市の根尾谷にあり、樹齢1,500余年を経て、今なお咲き続けています。

平成20年12月三木鉄道の廃線により、車両が岐阜県の樽見鉄道に売却され、現在も「淡墨桜」を背景にして活躍しています。その縁の深い苗木を譲り受け、ここに記念植樹します。

遠い昔から三木市と本巣市(旧根尾村)が、何か不思議な歴史の流れで、繋がっている想いがします。

平成23年6月吉日 うすずみ桜想会