①熊野神社拝殿
②熊野神社境内
③熊野神社鳥居
④阪急鹿塩駅跡
⑤阪急鹿塩駅跡
⑥阪急鹿塩駅跡
訪問日:2024年1月
所在地:兵庫県宝塚市
大正10年(1521)阪神急行電鉄西宝線の開通により、鹿塩熊野神社の境内地は二分された。大正15年(1526)神戸本線と直角平面交差で今津まで延伸され、今津線と改称された。
当初利用客は多くなかったが、太平洋戦争が始まった昭和16年(1941)12月、軍用機を製造する川西航空機が武庫郡良元村(現・宝塚市)にて宝塚製作所の操業を開始、利用客がにわかに増加する。
昭和18年(1943)10月、阪神急行電鉄が京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄と改称する。同年12月、宝塚製作所への利便性向上のため、今津線小林駅ー仁川駅間に鹿塩駅が設けられる。
通勤時間帯の朝夕のみの営業であったが、最大1日4万人の利用客があった。しかし、昭和20年(1945)7月、宝塚製作所が大規模は空襲を受け壊滅する。
なお、川西航空機の各製作所は兵庫・大阪・京都の各地に疎開工場を持っていた。宝塚製作所の近くでは、K学院大学やO女子学院にもあったという。
終戦により役目を完全に終えた鹿塩駅は同年9月に開業後わずか2年足らずで廃止となった。川西航空機はGHQ指令により航空機の製造を中止し、昭和22年(1947)社名を明和興業に変更した。
昭和23年(1948)明和興業は宝塚製作所の遊休地を手放して、これが現在のJRA阪神競馬場となった。昭和24年(1949)自動車製造部門の明和自動車興業と汎用機器部門の新明和興業に分割する。
明和自動車興業は後に経営不振によりダイハツ工業に吸収された。新明和興業の本社・宝塚地区は今も旧川西航空機宝塚製作所の敷地内にある。