摂津 神津神社 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①社殿②十三戎神社③福永稲荷神社④六所神社⑤鳥居

 

訪問日:2023年12月

 

所在地:大阪市淀川区

 

 神津神社は、阪急電車十三(じゅうそう)駅の東側、淀川区十三東に鎮座する。かつてはこの辺りの地名・西成郡小島村から小島八幡と呼ばれていた。

 

 明治22年(1889)の町村制施行により、西成郡小島村・今里村・堀村・木川村・三津屋村・堀上村・野中村・新在家村が合併して神津村(村の南北を流れる神崎川と中津川から命名)が発足する。

 

 一方、十三という地名は淀川の分流である中津川南岸の西成郡成小路村(現・新北野付近)の字名で、これと北岸の堀村を結ぶ十三の渡しが設置されていた。同年、成小路村は周辺の村々と合併し、中津村となった。

 

 十三の地名の由来は中津川の渡しが淀川の上流から数えて13番目の渡しであったなどの諸説がある。明治31年(1898)に始まる新淀川の開削により、その流域となった十三の地名は一旦消滅した。

 

 明治43年(1910)新淀川北岸の中津村成小路に箕面有馬電気軌道(現・阪急宝塚線、代表者は小林一三)十三駅が設置された。大正5年(1916)十三駅はやや北寄りの神津村小島の現在地に移転された。

 

 大正14年(1925)神津町(1922年町制移行)と中津町(1911年町制移行)は大阪市に編入され東淀川区に属した。この時、小島が十三東之町に、堀が十三西之町に、成小路が十三南之町に改称され、十三の地名が復活した。

 

 さらに昭和49年(1974)には、淀川区に転属するとともに、十三東之町(小島)は十三東に、十三西之町は十三本町に、元今里北通・南通(旧今里村)は十三元今里に改称された。

 

 逆に、もとの十三の地名を有し、旧十三駅の地であった十三南之町(成小路)は新北野(中津川跡地に旧制北野中学校、後の北野高校が移転)に改称されて現在に至っている。

 

 なお、戦国時代から室町幕府の滅亡にかけて、幾度か歴史の舞台となった堀城(中嶋城)は、旧堀村の十三本町にある十三公園あたりがその推定地である。

 

 また、昭和31年(1956)今宮戎神社より勧請された境内社の十三戎神社(写真②)は、地名とは異なり「とみえびす」と訓むそうである。

 

 

以下、現地案内板より

 

神津神社略記

 神津神社は今を去る400数十年前 天正年間に八幡大神を現在の地にお祀りしたのにはじまります。当時はこの地を摂津国西成郡小島村といい、「正八幡宮」と称され、文禄年間(1592-1596)、延宝年間(1673-1681)、宝永7年(1710)、寛政11年(1799)に社殿は再建されています。明治42年(1909)に神津村の木川、野中、新在家(現在の新高)、堀上、今里、堀(現在の十三本町)の各村の氏神を小島村の八幡宮に合祀し、社名を神津神社と改めました。その後、昭和4年、同24年にも改築され、昭和47年には現社殿、翌年には参集殿が造営されました。

 御祭神として左の神様がお祀りされています。

  応神天皇 神功皇后 底筒男命 中筒男命 表筒男命 

  宇賀御霊神 菅原道真公 少彦名神 猿田彦神

御神徳としては土地の守護神、厄除の神、武神殖産興業の神、学問の神様等として厚く崇敬されています。

 昭和63年12月吉日 神津神社