①旧九州鉄道本社②旧九州鉄道本社③キハ07 41気動車④EF10 35電気機関車⑤クハ481-603⑥スハネフ14 11
訪問日:2017年1月
所在地:北九州市門司区
日本の鉄道は官設官営を基本方針としていたが、明治10年(1877)西南戦争の過大な戦費により予算が窮乏して方針を転換、明治14年(1881)日本初の私鉄・日本鉄道(上野駅ー熊谷駅のち青森駅など)が開業する。
日本鉄道が好決算を発表すると、阪堺鉄道(1884・南海電鉄の前身)伊予鉄道(1887・現在に至る)山陽鉄道(1888・現在のJR山陽本線など)大阪鉄道(1888・現在のJR関西本線など)などが設立された。
九州でも、明治20年(1887)藤金作(高田村庄屋・福岡県会議員など)や嘉悦氏房(熊本藩士・熊本県会議員など)ら6名が、福岡・佐賀・熊本の各県令に呼びかけ、九州鉄道が発足した。
明治21年(1888)政府に設立認可され、高橋新吉(薩摩藩士・長崎税関長など、村田新八の従兄)が初代社長となり、明治22年(1889)九州初の鉄道路線として、博多駅ー千歳川仮停車場(鳥栖市)間が開業する。
明治24年(1891)には、上り方向に門司駅(現・門司港駅)、下り方向に春日駅(現・熊本駅)まで延伸され、また鳥栖駅から分離して佐賀駅まで開業した。
明治29年(1896)には八代駅まで延伸される。明治30年(1897)筑豊鉄道(若松駅ー臼井駅など)を合併、筑豊炭田で産出される石炭輸送が大きな収入源となる。
明治31年(1898)鳥栖駅ー長崎駅間(早岐駅経由)が全通する。同年、伊万里鉄道(有田駅ー伊万里駅)を合併する。明治32年(1899)宇土駅ー三角駅間を開業する。
明治34年(1901)豊州鉄道(宇佐駅ー行橋駅など)を、明治35年(1902)唐津鉄道(莇春駅[現・多久駅]ー妙見駅[現・西唐津駅]など)を合併するなど、北・西九州で路線網を拡大した。
一方で、鉄道官僚・井上勝(長州五傑の一人)は鉄道国有論を主張、渋沢栄一や田口卯吉(両毛鉄道社長など)や三井・三菱などは鉄道民営論を唱え、逆に官設鉄道払下計画を立案していた。
しかし日露戦争(1904-05)後、莫大な戦費外債を低利外債へ借換るための担保資産確保、外国人による主要鉄道株式取得の軍事的懸念が課題となり、財閥も私鉄の乱立による諸外国との競争上の不利を認識し始めた。
明治39年(1906)西園寺公望内閣が鉄道国有法案を提出、渋沢や井上馨、高橋是清らが反対論を唱えるも衆議院で可決、貴族院では九州鉄道社長・仙石貢らが反対論を唱えるも可決、法案が成立する。
同年公布され、翌年にかけて九州鉄道など17社の約4,500kmが買収された。これにより官設鉄道は買収前の約2,600kmから3倍増の約7,100kmとなり、私鉄は地域輸送に限定されることとなった。