①大隈神社
②狛犬に江口の文字
②狛犬に江口の文字
訪問日:2014年7月
所在地:大阪市東淀川区
三好長慶⑬
天文18年(1549)4月、細川晴元は近江の六角定頼に援軍派遣を要請した上、自ら出陣し、摂津山下城に入ると、28日、三好長慶の本拠・西宮に兵を出して焼討ちをかける。
また、29日には伊丹城の三好政長・伊丹親興も尼崎を焼討ちし、5月1日には富松城を攻め、長慶の後方攪乱を図るが、富松城は落ちなかった。
同年5月、晴元は三宅城を守る香西元成に命じ、長慶方の芥川孫十郎が守る芥川山城を攻撃するが三好長逸に阻止され、5月5日、政長が、28日には晴元が三宅城に入る。
6月11日、政長は息子・政勝救援のため政長は江口城へ移り六角勢の援軍を待った。しかし、長慶は四国から到着した弟の安宅冬康・十河一存の軍とともに江口城を囲み孤立させる。
24日、六角軍が摂津が目前の山崎まで到着したところで三好勢は江口城を総攻撃、政長をはじめ800人ほどを討ち取る大勝利を得た。こうして長慶は父のもうひとりの敵を討ち取った。
25日、三宅城の晴元は戦わずして帰京し、28日、足利義晴・義輝父子を伴い近江坂本へ避難した。7月9日、長慶は細川氏綱を伴い入京、京都を掌握する。
現在、江口城周辺も地形が大きく変わってしまい、正確な場所については不明である。旧厳島神社周辺とされるが、これも近代に大隅神社に合祀され、江口と書かれた狛犬が移されている。