神戸 北野異人館ほか | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

①旧トーマス住宅

「風見鶏の館」明治37年(1904)ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマスの住宅

ゲオルグ・デ・ラランデ設計、昭和55年(1980)国重要文化財指定

②旧シャープ住宅

「萌黄の館」明治36年(1903)米国総領事ハンター・シャープの住宅

A.N.ハンセル設計、昭和55年(1980)国重要文化財指定

③北野天満神社

「現地案内板」参照、北野の地名発祥の神社、北野の町を見下ろす

④旧ヒルトン邸

「旧パナマ領事館」明治時代後期、ヒルトン氏の住宅、戦後パナマ領事館

⑤旧ドレウェル邸

「ラインの館」大正4年(1915)フランス人J.R.ドレウェル夫人の住宅

⑥旧フェレ邸ボシー邸

左「ベンの家」明治35年(1902)英国貴族で狩猟家ベン・アリソンの住宅

右「洋館長屋」明治41年(1908)旧居留地の外国人向けアパートを後年移築

⑦旧サッスーン邸

明治25年(1892)チャン氏のちユダヤ系シリア人貿易商デヴィット・サッスーンの住宅

⑧旧アボイ邸

「イタリア館」大正4年(1915)現在も実際に人が住んでいる

⑨旧サンセン邸

「山手八番館」大正時代、サンセンの住宅

⑩旧ハリヤー邸

「うろこの家」明治38年(1905)頃旧居留地に建設、大正11年(1922)現地に移築

ドイツ人R.ハリヤーの住居、登録有形文化財

⑪旧リューク邸

「展望塔の家」昭和5年(1930)建設、平成7年(1995)阪神淡路大震災後放置されたまま

⑫神戸ムスリムモスク

昭和10年(1935)神戸在住の教徒らの寄付により開院、日本で最初のモスク

山本通の南、パールストリートに建つ

 

 

訪問日:2021年12月

 

所在地:神戸市中央区

 

 安政五カ国条約に基づき、慶応3年12月7日(1868年1月1日)より箱館・神奈川・長崎・兵庫・新潟の5港を開港し、外国人の居住と貿易が認められた。

 

 兵庫港ではやや離れた神戸村の、北は西国街道、東は旧生田川(フラワーロード)、西は鯉川(鯉川筋)、南は海という場所に治外法権の居留地が設けられた。

 

 条約改正を目指した明治政府による明治27年(1894)の日英通商航海条約を始めとする一連の条約が明治32年(1899)発効して居留地は日本側に返還された。

 

 返還以前から居留地は手狭になっており、明治13年(1880)頃より六甲山麓の北野町山本通付近に多くの外国人住宅が建設された。

 

 昭和20年(1945)の神戸大空襲により外国人が永代借地する区画が減少した旧居留地は大きな被害を受けたが、この辺りは外国人居住地ということで空襲の対象から外れた。

 

 昭和55年(1980)「神戸市北野町山本通伝統的建造物群保存地区」として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

 

 

以下、現地案内板より

 

北野天満神社

 

 北野天満神社が国家鎮護、霊験あらたかな学問の神様として菅原道真公をこの地に祀られてからの歴史は極めて古い。

 平清盛公が治承4年(西暦1180年)6月に、神戸に京都から都を移し、いわゆる「福原の都」を遷都するに当って禁裡守護、鬼門鎮護の神として、京都北野天満宮を勧請して祀られたと伝えられており、まさに800余年の歴史をもっている。

 神社前の東西の道は古くから北部の西国街道とあって旅人の往来も多く歴史上の人物もこの道を歩いて幾多のロマン残し、殊に明治開港と共に外国人がこの北野山麓に多く住み風光を賞で異国情緒豊かな異人館を残して神戸の名所に数えられるようになった。

 人種や宗教や国籍を越えて、毎年境内で行われる北野国際まつりは、特に有名で京阪神の外国人らが集い、キリスト、ヒンズー、イスラム教などによる世界平和の祈願や、フェスティバルが盛大に催される。

 

 

神戸市指定景観形成重要建築物

旧ドレウェル邸(ラインの館)

設計:不詳 竣工:大正4年(1915)

 

 北野町山本通地区の景観形成道路である北野通に面した南斜面の緑豊かな敷地に、東側の景観形成小径を挟んで、旧アメリカ領事館官舎と隣接して立地しています。

 寄棟の屋根や下見板張りの外壁、ヴェランダの列柱廊や徳利束、台形のベイウィンドウ(出窓)など、伝統的建造物の特性をよく表した、地区を代表する建築物のひとつで、敷地内の樹木、煉瓦塀や板塀、石積み等とともに、北野らしい外国人住宅(邸宅)のたたずまいを見せています。