改)和泉 伯太陣屋 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①伯太藩御殿跡

イメージ 2②伯太神社

イメージ 3③裏門(小谷城郷土館)

イメージ 4④裏門(小谷城郷土館)

 

訪問日:2014年4月

 

所在地:大阪府和泉市

 

 徳川家譜代大名の伯太藩主・渡辺氏は光源氏のモデルといわれる河原左大臣・源融(嵯峨天皇の皇子)を祖とする嵯峨源氏融流を称している。

 

 渡辺氏の祖・渡辺綱は融の玄孫で、摂津国渡辺(大阪城の西側附近)に居住し、坂田金時(金太郎)・碓井貞光・卜部季武とともに(源)「頼光四天王」の筆頭として知られている。

 

 綱の一族は渡辺党と呼ばれる武士団を結成し、その一族には松浦氏や山代氏、蒲池氏、坐摩神社家、露天神社家などがある。

 

 綱の玄孫・渡辺伝は皇室領の大江御厨を管理し、伝以降、滝口武者として内裏の警護(近衛部隊)を世襲していた。

 

 この渡辺氏嫡流は、豊臣秀吉の大坂城築城の際に坐摩神社(船場の現在地に遷座)とともに退去を命じられ、大和に移封された。

 

 徳川十六神将の1人・渡辺守綱は綱の曾孫・渡辺正(伝の叔父)あるいは伝の父・安(松浦氏の祖)の後裔と伝わる。

 

 守綱の子・渡辺重綱は尾張藩の家老として三河寺部に1万4千石を領した。元和9年(1623)重綱は5男・渡辺吉綱に武蔵国内の3千石を分知し、寛文元年(1661)吉綱は河内・和泉に1万石を加増されて武蔵野本藩を立藩する。

 

 吉綱の義孫(重綱の孫)・基綱が元禄11年(1698)陣屋を大庭寺に、さらに享保12年(1727)伯太に移して伯太藩を立藩した。