播磨 法華山 一乗寺 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①三重塔

イメージ 2②三重塔

イメージ 3③三重塔

イメージ 4④境内の紅葉

イメージ 5⑤境内の紅葉

 

訪問日:2001年11月

 

所在地:兵庫県加西市

 

 創建当時の一乗寺は現在地のやや北にある笠松山にあったと推定され、山麓には古法華石仏と呼ばれる石造浮彫如来及び両脇侍像があり、白鳳時代(7世紀後半)作の日本最古級のものといわれる。

 

 現存する一乗寺三重塔は承安元年(1171)の建立であるので、この年までに現在地に移転され、整備されたと思われる。

 

 大永3年(1523)兵火により堂宇を焼失、永禄5年(1562)置塩城主・赤松義祐により再興され、さらに火災に見舞われるが、寛永5年(1628)姫路藩主・本多忠政の寄進により、本堂などが復興された。

 

 忠政は徳川家康の孫娘・熊姫(信康の次女)を正室とし、その間に生まれた嫡男・忠刻には千姫が再嫁していたが、寛永3年(1526)に結核のため失っていた。

 

 

以下、パンフレットより

 

由緒

 法華山一乗寺は印度霊鷲山の五百持明仙の随一・法道仙人の開基である。仙人一日仙苑を出て紫雲に乗り、中国朝鮮を経て日域に入り、当山に留まって法華経を読誦し蜜観を修し、千手飛鉢の法を示して有情を教化し、仏法弘通の時機を待ち給えり。
 大化5年(649)時の帝孝徳天皇不予の病あり、即ち左大臣阿倍倉内に宣して仙人を宮中に召し入れ玉躰を加持せしめ給う。仙人17日の間加持し奉るところ玉躰たちどころに平癒し給う。仙人山に帰り、此の年本堂建立の勅あり。越えて白雉元年(650)9月落慶法要ありて、孝徳天皇法華山に行幸あらせられ一乗寺の勅額を賜わる。仙人伝来の観音像を安置して永く鎮護国家の道場となし給う。
 永延元年(987)花山天皇、西国三十三ヶ所巡礼の砌り、第二十六番札所となし給い、

 

春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山

 

と御詠あり。爾来庶民信仰の霊場として済世利民の益多く、巡礼の同行者絶ゆる事なく今日尚盛んである。

 
 
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