上野 安中城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①郡奉行役宅

イメージ 2②武家長屋

 

訪問日:2003年8月

 

所在地:群馬県安中市

 

 慶応3年(1867)大政奉還により薩長の倒幕派は徳川家討伐の大義名分を失った。薩摩藩の西郷隆盛は尊攘派の志士・相楽総三らに倒幕運動を命じる。

 

 総三らは江戸で掠奪・暴行など挑発行為を繰り返し、これに怒った庄内藩が江戸の薩摩藩邸を焼き討ちし、これをきっかけに鳥羽・伏見の戦いが起こる。

 

 慶応4年(1868)戊辰戦争が始まると総三らは赤報隊を結成する。「赤心を持って国恩に報いる」という彼らは新政府の許可を得て東山道の先鋒隊として年貢半減を訴えて民衆の支持を得た。

 

 しかし新政府は彼らに官軍の御印を与えず、密かにこれを取り消し、年貢半減は赤報隊が勝手に触れまわったこととして偽官軍の烙印を押し、中山道の各藩に討伐を命じた。

 

 安中藩郡奉行助勤・猪狩幾右衛門は安中藩兵を率いて領内の坂本宿で赤報隊と戦い、その幹部を討ち取るなどして、金一千疋を報奨として拝領している。

 

 総三も信濃追分宿で小諸藩に襲撃され惨敗、下諏訪宿で処刑された。