①南恩加島天満宮
②南恩加島天満宮
訪問日:2013年1月
所在地:大阪市大正区(確定していない)
木津川河口の両岸に台場が構築されたと思われるが、その場所もわからなければ本当に完成したのかもよくわからない。
嘉永7年(1854)ロシアのプチャーチンがディアナに乗って天保山沖に現れて錨を下ろした。翌安政2年(1855)幕府海岸防禦御用掛・川路聖謨により防備計画が作成される。
これに基づき安政3年(1856)幕府は大坂城代(土浦藩主)の土屋寅直に木津川口・安治川口への台場建設を命じるが、着工は見送られた。
続いて安政4年(1857)幕府は高松藩に木津川口の警備を命じる。次いで、文久3年(1863)木津川口を土佐山内藩に、木津川船手番所を美濃苗木藩に警備を命じている。
元治元年(1864)になりようやく台場の着工にこぎつけて翌年に完成したと思われるが、幸いその後台場が実戦に使用されることはなかった。