①本殿
②書院:義経潜居の間
③書院:後醍醐帝玉座
④庭園
⑤一目千本
⑥十字の詩
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
本歌:古の しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな(伊勢物語)
本歌:み吉野の 山の白雪 踏み分けて 入りにし人の おとづれもせぬ(古今和歌集 壬生忠岑)
閏7月、静は男児を出産するが、頼朝の命令により由比ヶ浜に沈められた。
9月、静は母とともに京に返される。同情した北条政子や長女の大姫(9歳)から多くの金品を与えられた。その後の消息は数々の伝説が伝えられているものの不明である。
なお、静御前についての史料は北条氏が編纂した歴史書「吾妻鑑」のみで同時代の貴族の日記などには登場しない。「吾妻鏡」には多少の脚色が含まれていると考えられている。
以下、現地案内板より
御祭神 後醍醐天皇・楠正成公・吉水院宗信法印公
御由緒
元は吉水院といい、天武天皇の白鳳年間に役行者が創建した格式の高い修験宗の僧坊でした。明治時代に神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治8年に「吉水神社」と改められました。
文治元年ここ吉水院に兄頼朝の追手に逃れた源義経と静御前が弁慶等と共に隠れ住まわれました。悲運に生きた一代の英雄と佳人との悲恋物語を後世へ伝えてきた数々の遺品が吉水神社には残されています。
延元元年後醍醐天皇が京の花山院から行幸され、吉水院宗信法印の援護のもと吉水院を南朝の皇居とされました。南朝4代57年の歴史はここよりはじめられ、現存する南朝唯一の行宮となっています。
文禄3年豊太閤(豊臣秀吉)が吉野で盛大な花見の宴をした際に、ここを本陣とされ数日間滞在されました。歌の会、お茶の会、お能の会などを開いて満天下に権勢を示されました。
また、日本住宅建築史上最古の書院として、ユネスコより世界遺産として登録された書院があり、現在の日本住宅の源流をなす実例として数々の珍しい手法が見られます。義経・後醍醐天皇・豊太閤それぞれの時代の遺品や宝物が書院内には展示されています。
以下略
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