日向 広瀬城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①城跡碑

イメージ 2②広瀬神社

 

訪問日:2010年4月

 

所在地:宮崎県宮崎市

 

 佐土原藩は島津貴久の甥・島津以久が慶長8年(1603)に関ヶ原で討死した島津豊久の遺領である佐土原に3万石を与えられて立藩し、佐土原城を居城とした。

 

 11代藩主・島津忠寛は慶応4年(1868)の戊辰戦争で薩摩藩に従い、新政府軍として上野戦争や会津藩・米沢藩などと戦い、明治2年(1869)賞典禄として3万石を与えられた。

 

 同年の版籍奉還後、忠寛は明治政府の許可を得た上で、佐土原城から新たに築城する広瀬城に移るよう転城令を出した。近くに港が控えていること、広瀬は塩害を受けやすく農業に不適な一方、佐土原は肥沃な土地で士族と農民を入れ替えれば藩財政の再建に資すると考えられたからだという。

 

 戊辰戦争で莫大な戦費を支出していた佐土原藩は財政が厳しく、士族の禄高の10分の6を借り上げて広瀬城の築城に充当し、明治3年(1870)新政庁などが完成し、佐土原城を廃城とする旨明治政府に報告した。

 

 しかし、明治4年(1871)廃藩置県が施行され、佐土原藩は佐土原県となり、広瀬城は建設中止となり、忠寛は知藩事を免ぜられ東京に移住した。

 

 後に昭和天皇の第5皇女が嫁いだのがこの旧佐土原藩主家である。