①大仙陵古墳
②大仙陵古墳
③大仙陵古墳
訪問日:2010年8月
所在地:堺市堺区
いわゆる仁徳天皇陵だが、この世界最大級の陵墓も戦国時代には城郭として利用されていたそうだ。後円部の高さは35.8mだが、国見山城と呼ばれるほどの眺望を体験することは生きているうちにはおそらく不可能であろう。
貞享元年(1684)発行の『堺鏡』によると、豊臣秀吉がここでしばしば猟を行っていたという。ここではこれがすでに仁徳天皇陵とあるとされている。
すでに後円部の埋葬施設は盗掘されており、貞享2年(1685)にはその盗掘孔が埋め戻されたのをはじめ、元禄(1698年)、享保(1722年)と修復が実施され、幕末の元治元年(文久4・1864)文久の修復時には拝所が設けられ、翌慶応元年(1865)勅使が参向し、次第に管理が強化されて現在に至る。
しかし、幕末までは後円部墳頂を除き自由に出入りができ、また、周辺の舳松村や中筋村は大仙陵池から灌漑用水を引いていたという。
明治5年(1872)には前方部斜面が崩壊して埋葬施設が露出したことを受けて発掘調査が行われ、甲冑や鉄刀・ガラス杯が発見されている。しかしこの時の記録は関東大震災により焼失してしまったという。
一方アメリカのボストン美術館には仁徳天皇陵出土だという銅鏡や環頭太刀などが収蔵されている。これらは当時ボストン美術館中国・日本美術部勤務の岡倉天心が明治39年(1906)に京都で購入した可能性が高いという。
現在堺市では大仙陵古墳などの「百舌鳥古墳群」をユネスコ世界遺産に登録する計画がある。ただし現在の管理体制では基準をみたしておらず、宮内庁や文化庁大阪府などと協議中とのことである。