①宮沢遺跡
②宮沢遺跡
③宮沢遺跡
訪問日:1998年2月
所在地:宮城県大崎市(旧古川市)
宮沢遺跡は奈良時代から平安時代にかけての官衙あるいは城柵の跡とされ、国の史跡にも指定されている。「続日本記」に多賀柵(多賀城)などとともに記された5つの柵の1つ、玉造柵ではないかといわれている。
しかし、中世の奥州探題・大崎氏の城であった名生城官衙遺跡が多賀城創設を遡ることが確認され、こちらが玉造柵だったという説のほうが有力となりつつある。
宝亀11年(780)按察使・紀広純が築こうとして伊治呰麻呂の反乱に遭い殺害され、完成したかどうかもわかっていない覚鱉城や長岡郡衙とする説もある。
以下、現地案内板より
史跡 宮沢遺跡
この遺跡は、昭和49年に東北自動車道の建設に伴って発見されたもので、東西約1,400m、南北約850mの規模をもっています。この愛宕山地区は、宮沢遺跡の西北隅にあたります。発掘調査の結果、築地や土塁の跡、掘立柱建物跡、竪穴住居跡などが発見され、奈良、平安時代(8-10世紀)の役所跡と考えられています。遺跡のうち愛宕山地区、長者原地区が国の史跡に指定されています。
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