摂津 有馬湯山御殿 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①念仏寺

イメージ 2②温泉寺(左)•極楽寺

イメージ 3③庭園(復元)と石垣

イメージ 4④石垣と帯曲輪

イメージ 5⑤岩風呂遺構(実物)

イメージ 6⑥蒸風呂遺構(実物)

 

訪問日:2004年3月(①)  2016年3月(②~⑥)

 

所在地:神戸市北区

 

 道後温泉・白浜温泉と並ぶ日本最古湯の有馬温泉には日本書紀に舒明天皇3年(631)舒明天皇が3ヶ月滞在したとの記録が残っている。

 

 清少納言も枕草子の中で有馬温泉について触れており、百人一首では紫式部の娘・大弐三位(藤原賢子)が「ありま山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」と詠んでいる。

 

 安元2年(1176)には後白河法皇が建春門院(平滋子・高倉天皇の母)とともに訪れたとの記録も残っている。(しかし滋子は4ヶ月後に35歳で急死)

 

 建久2年(1191)源平合戦で荒廃していた有馬温泉に仁西上人が12軒の湯治宿を建てて復興した。現在も当時の名称を継承している旅館もある。

 

 この他、有馬温泉を訪れたのは、孝徳天皇・藤原道長・藤原頼通・白河法皇・小野小町・和泉式部・在原業平・藤原定家・足利義詮・足利義満・足利義稙・足利義輝・本願寺蓮如・本願寺顕如ら

 

 秀吉以降では、千利休・小早川隆景・前田利家・織田信雄・織田長益・柴田勝家・豊臣秀長・石田三成・蒲生氏郷・細川藤孝・豊臣秀次・黒田長政・今井宗久・津田宗及・徳川秀忠・徳川義直・徳川頼宣・柳生宗矩・林羅山・井原西鶴・近松門左衛門・伊能忠敬・頼山陽ら

 

 近代以降では、福沢諭吉・井上馨・山縣有朋・後藤象二郎・伊藤博文・新渡戸稲造・西園寺公望・竹久夢二・谷崎潤一郎・吉川英治・斎藤茂吉・高浜虚子、さらに孫文・蒋介石・モナコ王妃(元女優グレース・ケリー)といった人々が訪れている。

 

 極楽寺は推古天皇元年(593)聖徳太子の開基と伝わり、数度の移転を経て現在地に至った。平成7年(1995)阪神淡路大震災で半壊した庫裏の基礎の下から画像のような豊臣秀吉の湯山御殿の遺構が発見された。

 

 温泉寺は神亀元年(724)行基によりこの場所に建立されたと伝わり、天正4年(1576)に火災により焼失し、秀吉夫人・北政所により再建された。再び火災に遭い、現在残る薬師堂は天明2年(1782)の建立。

 

 念仏寺は享徳5年(1532)の開基で、慶長年間に北政所の別邸跡である現在地に移転した。本堂は正徳2年(1712)の建立で有馬温泉郷最古の建築物である。

 

 

以下、現地案内板より

 

幻の湯山御殿

 

 現存する絵図等がないため敷地の範囲ははっきりしないが、最初の御殿は、1594年(文禄3)65軒の民家を退去させて造営しており、広い敷地であったと推測できる。今回発掘された御殿は、慶長伏見地震後の1598年(慶長3)の造営で、「太閤の湯殿館」周辺の平坦面も大規模な工事で造成されていることが確認されており、湯屋背後の石垣や曲輪も御殿敷地であったと考えられる。眺望という点から推測すると、念仏寺・極楽寺のあたりに御殿の主要建物があったのではないだろうか。

 

石垣・帯曲輪

 

 この石垣は、自然石(割ったり削ったりしない石材)だけを用いる野面積(のづらづみ)と呼ばれる石積みで、秀吉の活躍した16世紀後半の天正~慶長年間にみられる特徴的な石垣づくりの技術です。石垣の上面は帯曲輪と呼ばれる幅の狭い平坦面となっており、周囲には、多聞塀(たもんべい)と呼ばれる長屋づくりの塀や、隅の部分には隅櫓(すみやぐら)状の建物の跡が確認されています。
 
 
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