①推定地•神明神社
訪問日:2016年3月
所在地:兵庫県三田市
下田中城は神明神社がその城跡といわれ、かつては方形居館の曲輪や濠の遺構を残していたが、かつて南側に蛇行していた武庫川の流路が昭和10年(1935)からの改修工事で北側に真っ直ぐに付け替えられた際に完全に破壊された。しかしかつての流路の跡は今でも水路と田んぼとなって航空写真ではっきりと読み取れる。
永正8年(1511)細川澄元と細川高国が船岡山で戦い、澄元は大敗して本拠地の阿波に落ち延び、高国が覇権を手に入れた。
しかし、永正15年(1518)高国と同盟関係にあった大内義興が尼子経久の台頭により突如周防に帰国、澄元に逆襲のチャンスが訪れた。
ここで永正5年(1508)に高国に池田城を落とされ自害した池田貞正の子・信正が先陣を申し出て永正16年(1519)下田中城に籠った。
高国は越水城主・瓦林正頼、池田城主・池田民部丞、山下城主・塩川孫太郎に追討を命じたが、信正に夜討ちを仕掛けられ失敗に終わった。
これに乗じた澄元は三好之長ら阿波兵を率いて摂津に上陸、越水城を攻略、さらに永正17年(1520)高国を破って近江へ追い落とし、将軍・足利義稙は澄元に通じる。
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