陸奥 棚倉城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①濠

イメージ 2②虎口

イメージ 3③本丸土塁

 

訪問日:1991年5月

 

所在地:福島県東白川郡棚倉町

 

 丹羽長重は織田信長の重臣・長秀の嫡男で、天正13年(1585)15歳の時、父の死去により若狭・越前・加賀2郡123万石を相続した。妻は信長の5女・報恩院である。

 

 豊臣秀吉から羽柴の名字を与えられるが、同年の越中征伐に参陣した際、家臣に佐々成政に内応した者がいたとして越前・加賀を没収され、若狭一国15万石のみとなり、長束正家らの重臣も召し上げられた。

 

 さらに天正15年(1587)九州征伐の際に家臣の狼藉があったとして若狭も召し上げられ、加賀松任4万石とわずか2年で30分の1となった。一方で天正16年(1588)には豊臣姓を与えられている。

 

 天正18年(1590)小田原征伐の功で加賀小松12万石と初めて加増移封され、従三位参議・加賀守に叙任された。

 

 しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは西軍に与して北陸戦線で前田利長相手に奮戦したものの、戦後改易となり、慶長8年(1603)徳川家康から改めて常陸古渡に1万石を与えられた。

 

 その後、元和5年(1619)常陸江戸崎2万石を経て、元和8年(1622)立花宗茂に替わって棚倉に5万石を与えられ、寛永2年(1625)山城の赤館に替わる平城の棚倉城の築城を開始する。

 

 棚倉城は寛永4年(1627)に完成するが、同年に白河10万石に転封となり、3年を費やして寛永9年(1632)名城・白河小峰城を完成させた。これが最後の転封となり、寛永14年(1637)67歳で亡くなった。