①黒丸城跡碑
②黒丸城跡碑
訪問日:2012年4月
所在地:大阪府摂津市
昭和31年(1956)三島郡の味舌(ました)町・味生村・鳥飼村が合併して三島町が発足した。昭和41年(1966)三島町が市制施行し、「三島市」となるが、静岡県に同名の自治体が存在するため、即日「摂津市」に改称した。
味舌町はかつて織田長益(有楽斎)が味舌藩3万石の陣屋を構えたが、所領の多くは大和国にあり、元和元年(1615)4男・長政に1万石(戒重藩)を5男・尚長に1万石(柳本藩)を分与し、残った1万石を自身の養老領としたが、その死とともに味舌藩は廃藩となった。
三島郡の歴史は古く、古代からその名は存在しており、大宝元年(701)の大宝律令で三島上郡と三島下郡に分割され、すぐに島上郡と島下郡に改称された。
明治29年(1896)郡制施行のため、島上郡・島下郡の区域をもって新・三島郡が発足、大宝律令以来1195年ぶりに三島郡が復活した。現在の茨木市・摂津市の全域、吹田市・高槻市の大部分などのエリアであるが、その後、昭和15年(1940)の吹田市を嚆矢に次々と市制が施行され、現在は島本町のみとなっている。
昭和29年(1954)淀川を架かる鳥飼大橋が竣工、一方で、昭和50年まで府営の渡船「鳥飼の渡し」が運航されていた。現在は中央環状線と近畿自動車道、モノレールが通っている。
鳥飼の地は、この他にも国道1号線、阪神高速守口線が接続する交通の要衝で、「鳥飼和道」は渋滞の名所である。また、東海道・山陽新幹線の車両基地があることでも知られている。
以下、現地案内板より
黒丸城址
黒丸城(鳥越砦)は、土石を積み重ねて築いた小城であったらしいが、その築城の年代や由来についての詳細は不明である。しかし「細川両家記」にみえる次のような記述は、当時この辺りに何らかの城塞的構造物のあったことをうかがわせる。
同四日に三好方の衆は天王寺迄諸陣くつろげられ候、五日に鳥養へ帰陣也。
(永禄二年〈1559年〉八月)
同廿二日に諸軍敗軍して始め陣所天満森へ被引退候・・・然処に鳥養辺にて御談合あり。
(元亀元年〈1570年〉九月)
また、字地に黒廻・城ノ前・内殿・地殿などの名前があることから、黒丸城にゆかりの深い土地かと思われる。
いずれにしろ、本城(砦)は淀川べりに築かれた平城であって、大坂方面攻撃の際の前線基地の一つとしての機能を濃厚にもった城郭であったと思われる。
同四日に三好方の衆は天王寺迄諸陣くつろげられ候、五日に鳥養へ帰陣也。
(永禄二年〈1559年〉八月)
同廿二日に諸軍敗軍して始め陣所天満森へ被引退候・・・然処に鳥養辺にて御談合あり。
(元亀元年〈1570年〉九月)
また、字地に黒廻・城ノ前・内殿・地殿などの名前があることから、黒丸城にゆかりの深い土地かと思われる。
いずれにしろ、本城(砦)は淀川べりに築かれた平城であって、大坂方面攻撃の際の前線基地の一つとしての機能を濃厚にもった城郭であったと思われる。