摂津 摩耶山城(旧天上寺) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①土塁

イメージ 2②石垣

イメージ 3③堀切

イメージ 4④切岸

イメージ 5⑤旧天上寺仁王門

イメージ 6⑥旧天上寺

 

訪問日:2007年3月(①②) 2008年9月(③④⑤⑥)

 

所在地:神戸市灘区

 

 元弘3年(1333)1月21日、護長親王の令旨を受けて白旗城に挙兵した赤松則村(円心)は摂津に進出して摩耶山城に入る。2月11日、六波羅軍2万が山麓に陣を布いて攻め寄せるが則村はゲリラ戦を展開してこれを撃退した。

 

 摩耶山城は摩耶ケーブル虹の駅付近で遺構が発見されたが、戦国時代の手が入っており、則村の摩耶山城はさらに奥の摩耶山史跡公園、すなわち旧天上寺付近だったとの有力な説がある。

 

 天上寺(?住利天上寺)は大化2年(646)孝徳天皇の勅願によりインドの高僧・法道仙人が開創し、後に弘法大師が梁の武帝自作の摩耶夫人(釈迦の生母)の尊像を持ち帰り、ここに奉安したと伝わっている。

 

 摂津第一の大伽藍を誇り、65代・花山天皇や106代・正親町天皇の御願所としても栄えたが、昭和51年(1976)賽銭泥棒の放火により仁王門などを残して全焼し、創生地とされる摩耶別山に移転・再建された。

 

 

以下、現地案内板より

 

摩耶山史跡公園(旧天上寺跡)

 

 六甲山地は、東は宝塚方面から、西は須磨の鉢伏山まで大阪湾岸に並行して東西に約50km続いています。このうち、灘のすぐ北にそびえる摩耶山(689.6m)は、古来山岳信仰の場であり、真言密教の伝来後は、そこに仏教寺院が建てられました。これが?住利天上寺です。

 

 長い歴史の中では、地震、台風、火災などしばしば災害にあいましたが、その都度再興され観音霊場や安産祈願の寺として信仰されてきました。表参道である上野道のほか、兵庫方面の人々は布引の東から山に入り天上寺に参りました。杣谷からの摩耶東谷や青谷道もこの寺に参る山道でした。

 

 昭和51年1月30日、天上寺は炎上、主要建造物を焼失した。今回の復興計画では、寺は、開創の地と伝えられる元麻耶(ここより北へ約700m)へ移転することとなりました。
 神戸市では、旧境内地を自然あふれる市民の憩いの場とし、歴史伝説を有する史跡のイメージを残すため、史跡公園として整備を行っています。

 

昭和62年 神戸市