肥前 名護屋 木下延俊陣 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①石塁跡

イメージ 2②石塁跡

イメージ 3③石塁跡

イメージ 4④飛石

イメージ 5⑤雪隠

イメージ 6⑥陣跡図

 

訪問日:2008年4月

 

所在地:佐賀県唐津市

 

 木下延俊の死後、家督は3男の俊治が継いだが、遺言により4男の延由に速見郡立石5千石が分知された。両家の仲は悪く、藩士も含め交流は全くなかったという。

 

 実は延由は豊臣秀頼の遺児・国松であるという説があり、それなりの根拠もありそうだ。しかし、こういった類の謎はまず証明されることはなく、かと言って完全に否定することもできない。

 

 徳川幕府は羽柴氏を名乗ることには難色を示したが、本姓としての豊臣姓については制限しておらず、木下氏は江戸時代を通じて豊臣を本姓として明治に至っている。明治元年(1868)日出藩16代藩主の木下俊愿は足守藩の木下利恭とともに明治新政府に対して豊国神社造営の申しつけを願い出ている。