山城 京都新城(仙洞御所) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①現在の仙洞御所

イメージ 2②現在の仙洞御所

イメージ 3③現在の仙洞御所

イメージ 4④現在の仙洞御所

 

訪問日:2012年11月(①②) 12月(③④)

 

所在地:京都市上京区

 

 文禄4年(1595)聚楽第を破却した秀吉だったが、洛中に豊臣家の邸宅を構える必要があり、慶長2年(1597)8月に京都御所の南東に完成したのがいわゆる京都新城で、正式名称は伝わっておらず、「太閤御屋敷」「太閤御所」などと呼ばれた。

 

 9月には61歳の秀吉と5歳の愛息捨丸が揃って上洛してこの城に入った。2日後には参内して元服、秀頼と名乗る。秀頼の滞在は半月ほどであった。

 

 翌慶長3年(1598)8月に秀吉は死去、そして翌慶長4年(1599)9月には大坂城西の丸を徳川家康に明け渡した秀吉夫人の高台院がここに移転して高台院屋敷とされたが規模は縮小された。

 

 その高台院も寛永元年(1623)に没し、寛永4年(1626)後水尾天皇が譲位の意志を示すと、徳川幕府はこの地を仙洞御所(退位した天皇の御所)の敷地に選んだ。

 

 高台院が規模を縮小した時や、仙洞御所が構築された時に京都新城から撤去された建物が各所に寄進された可能性があり、西本願寺の飛雲閣や唐門など秀吉遺構の伝説のある建物の起源はここではないかという意見もあり、なかなか説得力があるように思う。