播磨 福泊構居 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①燈籠池山遠望

イメージ 2②小赤壁

イメージ 3③小赤壁公園

イメージ 4④淡路島を望む

イメージ 5⑤家島を望む

イメージ 6⑥木庭神社

訪問日:2013年2月(④⑤⑥)2015年2月(①②③)


所在地:兵庫県姫路市
 

 文政8年(1825)歴史家で漢詩人の頼山陽が月夜にここを訪れて、船を浮かべ「三国志」の故地、中国湖北省の赤壁に似ているとして「小赤壁」と名付けた。高さ50m、長さ約1劼寮篳匹如△修療戝爾療?特啝海了劃困福泊構居跡といわれている。
 

 構居の東側には鎌倉時代に整備された福泊湊があり、兵庫にも負けない湊町として栄えていた。英賀城主三木市の一族の長尾通朝や土岐氏末流の山下氏の居城と伝えられ、天文年間の山下職重の時に落城したとある。天文7年(1538)・8年の尼子晴久の播磨侵攻によるものの可能性がある。
 
 

以下、木庭神社案内板より
 

木庭神社
 

 当社は、白浜町の松原八幡神社の別宮で、当地の産土神である。
 元和元年(1615年)に木庭の開発の長者三木久右衛門宋栄によって創建されたといわれている。
 風雨によって大破したため寛保元年(1741年)に木場村の医師三木寸斗によって再建されたという。その後、幾度かの改修工事が行われ、現在に至っている。
 祭神は、天照大神、豊受大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、大己貴命、少彦名命の十神。これだけ多くの霊神を祀る神社は、全国でもめずらしい。
 参道は桜の名所として知られ、毎年、七月十五日の夏祭には紙鳥居が建てられ、鳥居の紙は無病息災、夏まけ防止のお守りとして親しまれている。
 

平成五年二月 姫路市教育委員会