摂津 富田寺内 (教行寺/本照寺) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①教行寺

イメージ 2②本照寺

イメージ 3③本照寺


訪問日:2012年3月

所在地:大阪府高槻市

 応永34年(1427)本願寺7世存如が光照寺を建立した。

 寛正6年(1465)大谷本願寺を延暦寺西塔の衆徒により破却された本願寺8世蓮如を宥めるために細川勝元がここに寺地を与えたが、蓮如は越前吉崎御坊に向かい捨て置かれた。後に加賀一向一揆を避けて戻ってきた蓮如は光照寺に滞在し、富田御坊を建立し、8男蓮芸を住持とした。

 天文元年(1532)天文の錯乱により山科本願寺を焼討した細川・六角・法華一揆連合軍により攻略された。

 天文5年再興が許され、後に教行寺と称するようになり、現在は大谷派(東本願寺)の寺院となっている。光照寺は江戸時代に本照寺と改称し、本願寺派(西本願寺)の寺院となり現在に至っている。


以下、現地案内板より

教行寺

 教行寺は、安静山と号して真宗大谷派(東本願寺)に属し、文明八年(1476)頃、本願寺八世蓮如上人の創建と伝えられる。
 もとは富田道場と呼ばれ、一向宗(浄土真宗)の布教拠点として隆盛を極め、富田寺内町の中心として発展した。しかし天文元年(1552)の一向宗弾圧によって、道場や信徒の家々は残らず焼き払われたという。
 天文五年に再建され、蓮如上人が親鸞上人著の「教行信証」を当寺で書写したことから、のちに教行寺と称するようになったといわれる。

 昭和六十三年三月  高槻市教育委員会