播磨 坂本城/天神山城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①土塁と天神山城

イメージ 2②天神山城

訪問日:2000年12月

所在地:兵庫県姫路市

 本拠地の坂本城に戻った赤松満祐は、足利尊氏の庶子直冬(直義の養子)の孫で冬氏の子といわれる足利義尊を名目上の大将として擁立する。

 

 この人は禅僧として播磨に潜伏していた人物で、伊原御所と称して文書の発給も行っている。弟の義将も同様に備中から播磨に向かい合流を目指したが、備中守護細川氏久に討ち取られる。

 満祐らは守りが手薄な守護所である坂本城から城山城に移るが、体制を整えた幕府軍に攻められ、満祐は嘉吉元年(1441)9月10日に自害、義尊は満祐嫡男の教康らに付き添われて城を脱出する。

 その後しばらくは生死もわからなかったが、翌嘉吉2年、僧の姿で京都に現われ管領細川持国に保護を求めるが持国はそれを拒否して義尊を討ち取ってしまった。享年30

 天神山城は大河内氏の築城で、坂本城の詰の城というが赤松氏との関係などよくわからない。