①土塁と堀
②土塁と堀
③土塁と堀
訪問日:2005年10月
所在地:兵庫県尼崎市
三好長慶③
一庫城の攻略を断念した三好長慶は居城越水城に帰還するが、木沢長政らが追撃し、越水城に攻め寄せる。20歳の長慶はこれを撃退し、逆に木沢方の富松(とまつ)城を攻略する。
富松城は住宅地の一角に場違いな様子で土塁と堀の一部が残されている。管理が大変だろうが遺構を守っていってもらいたい。
以下、現地案内板より
富松城跡
富松城は戦国時代の城館で、長享2年(1488)の史料にその名前がみえます。永正4年(1507)から始まった室町幕府管領の細川氏の分裂抗争を発端とする戦乱が尼崎地域に及ぶと、西摂地域の重要拠点であった尼崎城・伊丹城・越水城(現西宮市)のほぼ中間地点に位置し戦略上の要地である富松城は、その戦乱の主要な舞台のひとつとなります。
目の前に残る小山と溝は、城の西側の守りとして築かれた土塁と堀の一部と考えられます。これまでの発掘調査では、土塁の内側(東側)に当る場所で大規模な堀が見つかっていることから、富松城は土塁と二重の堀を備え、東西150m以上、南北200m以上の規模の城館であったと推定されます。今も残る小高い土塁は、戦国時代の争乱を今に伝える大切な歴史的遺産です。
平成17年2月 尼崎市教育委員会