例えばフランス音楽とか美輪明宏じゃねーけどその昔は銀座コリドー街のギャルリカフェとかでアコーディオンだけのヤツを聴いてればその”地下鉄の切符切り”とか”死んでしまったアコーディオン”とか気が滅入るタイトルのシャンソンばっかしだとそりゃあ

気が滅入るに決まってんのだが可憐で憂鬱なメロディーは気に入ってたりしてそりゃあそれなりに縁がなきにしもあらずだからして高校行きながらフレンチ・ストリートオルガン”ルイ16世”の演奏と調律のバイトしててそのままその会社に就職しちまった過去があるからな。
もちろんドライ・オーフェルブックってなスコアの音符をパンチングしたよーな”楽曲の本”があってそれでオルガンは演奏できるんだけどフランス語のタイトル表紙なんぞわかる訳もなく片っ端から演奏して耳で覚えたのだ。だってそれしかねーじゃんか。
んでもってなんの因果か四十も半ばになってジプシースウィング、フレンチジャズをやるようになって改めてのフレンチなのだがこのZAZとか聴いてるとミシシッピー・デルタブルーズ並みに進歩がないってーかそのまんまなのだ。ただ思いつくのはデルタに代表されるカントリー・ブルーズやゴスペルは黒人の超人的な繊細さで音階と演奏を確率してるのだが、フレンチ・ジプシーは逆の印象を受けるのだ。緻密に計算された音階やリズムも多様してるのに比べて演奏スタイルは極めて雑とゆーか荒削りなのだ。それって多分にアメリカほど人種のクロスオーバーとその手の必要なハイブリッドがなされてないことがひとつの原因であってすべてに違ぇねーよな、そこの旦那。それは日本もまったく同じでカレー蕎麦とかタラコスパゲッティとかそーゆーことがあってこそ人類の文明開化なのだ。んでもZAZはいいな、かっこいいな。やっぱし腋毛はぼーぼーなのかな。