そりゃあ不自由さ。
見た目にはフツーだからな。
だから右耳が聞こえないってーことには全然慣れない。
だって周りが慣れないんだから、フツーに話しかけてくんだから、並んで歩いたって並んで座ったっておれは常に漫才師のごとく立ち位置を気にするのだが、他人は知らんのだから適当にくるだろ。
これを何十年も繰り返してるの、おれ。
だからヒトが面倒臭いの、おれ。
右脳が発達して云々よりも、左脳が衰えて大変なほうが実感なのだ。
漢字はデザインで捉えるから読むのは達者だが、書くってなすげー具体的に行為は苦手。
電話しながらメモとか取れないし。
音楽は楽譜書くのが得意で読むのが苦手。
んで、楽器も絵画も脚本も、最初は模倣で見よう見まねで大まかなディティールを掴んでから基本を勉強する。
なんでだろ、最初から基本を勉強する姿勢を見せないから、お前ナメてんの? 的に嫌がられるから、基本の勉強も独学なのだ。
すんげー遠回りしてるけど、自分なりに基本の形を知った次は形を壊すんだから、独学が都合がいいのか?
形を知らないから形なし。形を勉強したうえで形を壊すから、形破り。
でも、音楽だってビクターで中途半端にレコーディングしただけで、バンドの方向性でもめてダメになったし、脚本も賞をもらって多少仕事したものの中途半端だし、仕方なくやってる美術の仕事でフリーで喰えてるのが皮肉なのだ。
んでもって映像的なものの記憶は良い方で、黒沢清監督キュアの一場面で、ああ、あのシーンは警察官が拳銃で自殺するのだが、画面は交番ロングの引きで銃声だけだよな。
とか、ブラック・レインでの松田優作が親分との杯のシーンのセリフを全部覚えていたりとか、だから映画が好きで、現在映画業界につま先だけ突っ込んでいるのだ。
脚本を書くのはかなり楽しい、ってかおれはイメージの怪物で右脳の悪魔だからな。
自作の脚本のシーンをかなり鮮明に具体的にイメージして、それをもっと面白くする努力をするので脚本もかなり具体的になって、かえって嫌がられたりするし、だってカネがかかりそーだったりするじゃん。
んでもってカット割りとかもうコンテに近いから、そりゃー嫌がられる。
前に漫画原作を書いたときも集英社に言われた、こんなに具体的なのは初めて読んだと。
こんだけ具体的だと漫画家さんが嫌がると。
でも左脳が不自由なはずのおれがそんな文章を面白がって書いてるから不思議なのだ。
てか、この年になって、やっと右脳左脳のバランスが取れてきたのかな。
したら、おれはこれからじゃないか。
ってことで、勝手に頑張るのだ。