小6でエレキを手にしたおれはベンチャーズ番長となり、殆どノーキー・エドワーズの生まれ変わりなのだ。
だが残念ながら、まだノーキーは現役でベンチャーズのリード・ギターで、冬の間は東所沢でハンバーグハウスの店長だったのだ。
児童精神科病棟の規則で小学校卒業と共に退院しなければならない。
小学校っていっても地域にある小学校の分校ってなかっこうの、院内学級なのだがね。
んでおれは、地元深川の中学に入ったのだが、おれはとーっても有名なので、入学してすぐに不良の餌食になった。
えーと、もうその頃には売られたケンカの買い方ってか、要領が良かったので、ちと顔貸せや。
ってな場合は顔貸しに行く途中でヒトが大勢いる場所選んで適当に暴れる。
または、ちと静かな場所で会おうじゃねーの。
ってな場合は代わりに教師に行ってもらって会ってもらう。
でも、再び理不尽な教師ってのは現れるもんで、もう書くのも面倒臭いのだが基本的に、おれは問題児だったので色々問題になった。
だから職員室で暴れてその教師殴って消火器まいてガラス割りまくった。
それだけで児童精神科に逆戻り。
まあ、その頃のパワーとてめえらぶっ殺してやる的殺気は、凄かったんだろーな。
まるで野獣なのだ。
美少年なのに。
小学校卒業で病棟退院のルールの次は、中学1~3年までの入院で中学卒業で退院のルールなのだ。
おれは馴染みの患者たち、小1~中3まで入院してるから、あえて同級生じゃなくて患者と言わせてもらうが、そいつらに出戻りの烙印を押され、しばらくはトホホホの入院だった。
児童精神科病棟の患者ってのは、主に登校拒否、自閉症とかライトな症状ばかりじゃなく、分裂症、今でいう統合失調症だっけ、おかしな妄想に支配されて母親が面倒みてたり、たまに包丁振り回したり、おれもいきなり殴られたこともあって、かなりヘヴィな症状の患者がいたのでバラエティーにとんでて楽しかったなぁ。
んで、ご他聞に漏れずレインマン。いわゆる記憶だけが凄かったり、数学だけ、歴史だけ、電気機器だけとかそれだけに突出して物凄い連中がいて、うっとーしかったのだが、まあ楽しかったじゃないか。
それにしてもこんな話は面白いのだろうか。
おれの思い出話を書いてるだけだぞ。
マジで評判が良ければ続けるが……。
そもそもおれの右耳が聞こえないことから始まっている、ローリング・ストーン・ストーリーなのだ。