紀元何年だか知らねーけど、セミの鳴き声もうっとーしーオリンピアのあの白い夏の日から連綿と続いてきたのだ。
走るだけーとか、投げるだけーとか、跳ねるだけーとか、舐めるだけーとか、舐めるかどうかは知らないが、特殊な分野だけに偏った、非常に非日常的で自己天然サイボーグであって、あってもなくてもよい、ってーかむしろ無い方がいいんじゃねーかってーなことを競ってるだよ、こりゃ。
とりあえずは陸上競技の話題なのだ、タイムリーだからな。
んなもんだから、現在のアスリートたちの記録とか知らんのだ。
知る必要はない。
むしろ記録の伸び幅に、非常にひじょーに興味あるのだ。
どんなに鍛えたって、科学的に検証された訓練だって、人種の壁は越えられないのだから、いずれ偏った人種の微々たる、まさに偶然の領域を超えられない微々たる記録の差、体調とか喰いモンとか睡眠とかの差にすぎない記録を争うことになる。
するってーと、それはそれでも面白いのか。
後から後から若い挑戦者の新陳代謝が加わるのだから、本当に本当に微妙な記録がレコードされていくか。
さっきまでおれが心配してたのは、記録の微々たる世界に突入して、あまり面白くなくて視聴者の関心も薄れたら、人類の進歩も調和もないのだ。
あれ、これは大阪万博だっけ?
したらば競技のエンターテイメント化をはかり、資料率及び会場動員数と活性化しないとしょーがないから、マジ選手のマジサイボーグ化を図って、国家的な驚異的身体能力の開発を競技の一部にしたら、さぞ楽しかろう。
逆競技。
百メートルを五秒で走れる、骨格カーボンの人口筋肉表面チタン・ネットを被せたようなスーパーアスリートによる、競歩。
くるぞこれは、最初は地味だが押さえつけられた過剰な能力とエネルギーをセイブしながらの競歩だぞ。
多大なるストレスに苦しむ選手の表情に釘づけか?
これは面白い。
また思いついたら書かせていただく。
ほほほ。