友がき備忘録 | 鈴木雪弥の心はいつも12歳。

鈴木雪弥の心はいつも12歳。

鈴木雪弥です。とりあえずコーヒー飲んでから説明文考えます。
いつまでも少年の心を失わなさすぎ(!)な、おもちゃ箱をひっくり返したようなブログにしたいですね。

「ふるさと」の歌詞を長い間思い違いをしていた。

二番の歌詞の「つつがなきや友がき」の「友がき」は「友餓鬼」だと思っていた。

実は友餓鬼じゃなく、友垣と書くのが正解らしい。

 

そんな訳で人生初の友ガキならぬ友垣だ。リアルタイムでドラえもんの空き地みたいなので遊んだ最後の世代かもしれん。

近所の鼻たれ小僧だった「イリザワ・セイジ」君というらしいのだが、鈴木さんが幼稚園に上がる前に山科へ引っ越していったらしい。本欄ではプライバシーを考慮しイニシャルで表記することが多いが行方不明者ということもあり、ネットという性質上、拙ブログにコメントというアクセスというコンマ以下の可能性を考え例外的に実名での思い出話をお許しいただきたい。

幼時体験が尾を引くが左京区から山科方面への転居は珍しくなかった。

その当時は山科区でなく東山区山科だったが、大石内蔵助の事例をヒキアイに出さんでも山科は左京区にとっての「化外の地」だった。小学校へ上っても山科へ引っ越すクラスメイトは多かった。それほど山科は遠かった。

 

小学一年のときに以前本欄でふれたO先輩のほかにひとつ上の杉浦昭彦さんという杉浦直樹さんと平田昭彦さんを足して割ったようなお名前の先輩が同じ町内にいたが、なぜかこの頃は自分から友だちを見つけるよりも向こうから好かれることが多かった。

野球音痴の私なんぞは草野球に誘われてもバッターボックスといわれても電話ボックスのイメージしかなく、長じて分校に進んだ3年の時はヒットを打ってもバットを持ったまま3塁に進むていたらく。ゲッツーは月賦と思ってたが同じく野球音痴のWなんかはゲッツーは月光仮面、三者凡退は三者ボンタン飴と同じだと思ってたらしい。

杉浦先輩ともこの空き地で遊んだかの接点はあったような。空き地の向かって右にある路地を入ったところに家があり、外壁に少年誌の裏表紙のようなツヅミ弾のライフル銃のような絵のある家だった記憶が。このへんは夢と現実の境界線があいまいになってる逢魔が刻の世界だ。杉浦先輩とも一見シュールな家まで手を振り、別れて以来、それっきりの記憶しかないようだ。

町内会のお知らせで『おそ松くん』のイヤミを描くのがうまかったような。

 

空き地も小学一年の秋には鉄筋のアパートが建ち、長じてアパートの大家の息子の上田君とも親しくなれた。

『ウルトラマン』のドドンゴの物真似が得意で『アニマル1』のファンで学級新聞の紙名を「アニマル新聞」にするのだと熱く語るスポーツマンであったが、整体師として若くして他界したらしい。

快活なスポーツマンの彼であったが、たとえ運やツキに見放されたような私でも6組の学級新聞「ケロケロ新聞」の名付け親になれたのに不幸にも「アニマル新聞」創刊はついえた。悪運強い鈴木さんではあったが、そんなところで帳尻は合わせていたのかな。

鍼灸接骨院を開業し順風満帆だと思っていたのに訃報は意外で驚きでした。

あとは弟さんが引き継いでらっしゃるらしい。まさか俺より早く逝くなんて。

 

そんな訳でリンクは「ふるさと」「アニマル1」かな。

うさぎを追うには吉田山も大文字も都会だし、わしは無益な殺生を好まないので小鮒は釣らない。

わしはそんなに地元大好きでもないし、マイルドヤンキーみたいになれないし、若いときは東京に骨を埋めるつもりでもいたのだが、宝くじのメガビッグにでも当たらん限り東京へ帰れない。住めない。とほほ(泣)。宝くじ当てるかママ活かな、売れないカット描きとしては。

 

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