戦前まで豊橋にあった東雲座(しののめざ)という芝居小屋。
旅回りの大衆演劇の一座らしいが、祖母の話によると遠縁に旅芸人がいたらしい。
曾祖父の言の又聞きによると学芸会の花形だった祖母の先祖にあたる親戚筋だか遠縁に女剣劇師がいたことはたしからしい。
筆者の貧困なイメージだと大衆演劇といえば梅沢富美男さんや女剣劇は浅香光代さんあたりでハタと思考停止してしまうのだが。
旅回りの一座らしく縁あって小樽の写真館で撮影されたものらしい。
東雲座は昔を偲ぶサイトがある。ただ、実際に訪れてみて豊橋の古老が町おこしのために東三河や岐阜と手を組む発想の貧困さにいささか失望した。
名古屋と同盟を結ぶ頭がないと東京一極集中には勝てない。呉越同舟という故事のように舟が沈みかけると仲の悪い呉の人と越の人でさえも一致協力するように卑屈になってはいけないし、狭いところでくすぶる必要もない。京阪神という言葉のあるように三つどもえの三すくみの同盟を結ぶ発想がなければ尾張と三河の発展はない。このままではグレートカントリー、すなわち偉大なる田舎と揶揄されても仕方あるまい。
さて、このブロマイド、メンコのように硬い。アルバムでなく玉手箱に入れて保存せねばなるまい。